崇敬と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 01:34 UTC 版)
時として、「キリスト教は一神教といいながら、なぜ多神教のように聖人を崇拝するのか」という疑問が提示されることがあるが、聖人の概念を持つキリスト教では、崇敬・尊崇と崇拝は異なる意義付けをなされている。この観点からは、キリスト教徒は聖母マリアや諸聖人を崇拝しているわけではなく、聖人を敬うこと(マリア崇敬・聖人崇敬)は拝むこと(マリア崇拝・聖人崇拝)ではない。神への信仰と聖人への敬意はまったく別のものとして捉えられる。一方でこれはかつて初期の布教に伴い、異教の祖神や民間信仰を取り込んだものの残滓も含まれているとする研究も存在する。 正教会・東方諸教会・カトリック教会では、聖人の像や生涯を描画した聖画像(イコン)を作り、崇敬の対象とする。聖像破壊運動で古代の多くの聖像は失われたが、この運動が及ばなかった地域、とりわけそれ以前にカトリック教会やギリシャ系の正教会と分かれた東方諸教会の聖堂には、古いイコンが残っていることがある。このような古いイコンを収蔵する代表的な存在としては聖カタリナ修道院が挙げられる。 聖人の伝記(聖人伝)を読み書きすることも、聖人を崇敬する上で重要な役割を果たしている。これは古代から行われ、信仰上の模範を示すことで後世の信仰のあり方に大きな影響を与えたものも少なくない。たとえばアタナシオスによる『アントニオス伝』は、修道者に大きな影響を与えた。聖人伝として著名なものにヤコブス・デ・ヴォラギネの『黄金伝説』がある。 聖人はつねに個人名で記念(記憶)されるとは限らない。七十門徒などはそのよい例で、七十人の内訳には幾つかの説があり、かならずしも確定していない。古代の殉教者などには、名前の伝わっていない聖人も数多い。聖書に出てくる例では、ヘロデ大王によるベツレヘムの幼児虐殺の死亡者は「聖嬰児」「幼子殉教者」として聖人であるが、彼らの個人名は伝わっていない。
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