岩舟石の産出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:37 UTC 版)
土留め用の間知石(けんち石)や土台用の切り石などの土木の基礎建材として、江戸時代から昭和期に至るまで岩船山から採掘されていた。凝灰岩の一種である安山岩質角礫凝灰岩に分類され、「南蠻石」とも呼ばれる。江戸時代には、城や神社仏閣の建築のため渡良瀬川の河川舟運を利用して関東各地に運搬された。明治時代には1900年に搬出専用の岩舟人車鉄道、1916年に内務省軽便鉄道が敷かれ、渡良瀬川の河川改良工事にも利用された。両毛線の岩舟駅、東武鉄道静和駅も輸送に利用された。岩舟石を平場に降ろす作業は当初は修羅 (そり)で行われていたが危険が伴うため、次第に馬車が使われるようになった。 第二次世界大戦後になるとダンプカーによる輸送に切り替わり、毎日約200台に達した。採掘のため仕掛ける発破の衝撃とそれを事前警告するサイレンの音が町に響き、最盛期の1955年前後には約40軒の石材店が並んだが、コンクリートが普及した1960年代に衰退した。2022年時点では採石は行なわれていない。麓の岩舟駅付近には、岩舟石に関する資料等を展示している「岩舟石の資料館」が開設されており、資料館の建物は1931年築である。
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