山梨県地方病研究の端緒とは? わかりやすく解説

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山梨県地方病研究の端緒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/09 04:26 UTC 版)

吉岡順作」の記事における「山梨県地方病研究の端緒」の解説

山梨県内における地方病 (日本住血吸虫症)撲滅尽くした医師一人であり、地方病の病体解剖への道を開いた吉岡は、自身著した地方病日本住血吸虫病病原石灰死滅に関する研究昭和13年1938年)刊において、地方病研究端緒について記している。 山梨県地方病研究の端緒 前余が開業地の附近には山梨県特有の腹水患者多く西山梨郡玉諸村向村杉山仲子五十四歳)又同病侵され年月久しき同僚辻直記氏の立会求め治療せしも其効果認めず明治三十五年五月回春見込なきを自覚し自ら進んで病原研究切望す。依て東八代郡同盟会員協議し東山梨郡甲府市会員に予め此の件を通達し置きしを以て死亡同時に六月五日飛ばし病院長下平用彩執刀解剖す。其の結果肥大せる肝脾腸壁及び肝臓内に卵様のものを認めたり東八代郡同盟医師会義烈賛し同村盛岩寺境内熊谷県知事篆額を請ひ、碑を立て以て其の意功を永遠に伝ふ、古来より本県下潜在湖浸、病原不明不可思議な腹水症とし療法なきを憂ひ、当時解剖一般民衆恐怖嫌畏するに拘らず社会の為め死後の解剖決意し研究資料供した女丈夫義行により此の仮面剥奪す、之れ地方病研究端緒にして又本県病体解剖嚆矢なり、再び茲に其の真相叙述す。 — 『地方病日本住血吸虫病病原石灰死滅に関する研究昭和13年1938年

※この「山梨県地方病研究の端緒」の解説は、「吉岡順作」の解説の一部です。
「山梨県地方病研究の端緒」を含む「吉岡順作」の記事については、「吉岡順作」の概要を参照ください。

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