山本慎一 (実業家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 14:34 UTC 版)
やまもと しんいち 山本 愼一 | |
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生誕 |
1921年[1]10月30日[2]![]() |
死没 | 2018年12月16日(97歳没)[3] |
職業 | |
肩書き | |
子供 | 山本 敏晴(息子)[4] |
親戚 |
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山本 愼一(やまもと しんいち、1921年[1]11月30日[2] - 2018年12月16日[3])は、日本の実業家、馬主。
繊維の製造・卸売や不動産業を手掛ける三陽株式会社の代表を務めたほか、えりも農場代表、日本馬主協会連合会第9代会長を務めた。山本 慎一とも表記される。
経歴
1921年、和歌山県出身[1]。幼い頃から乗馬に興じ、国民体育大会にも出場していたという[6]。復員後の1947年に繊維問屋を設立し、1950年に三陽株式会社に改組した[1][注釈 1]。1981年時点で同社取締役[8]。1970年にはブラウスの製造を手掛ける山兼株式会社の社長に就任し、翌年同社の商号を株式会社エリモに変更、1984年に会長となった[1]。繊維業のほか、ゴルフクラブの「エリモゴルフクラブ」などを運営する五場開発株式会社の代表も務めた[9]。1998年時点で三陽グループの会長[2]。2018年12月16日に死去[3]。97歳没。
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は水色、赤袖、黄二本輪、冠名には「エリモ」を用いるほか、かつては「パッシング」という冠名も使用していた[注釈 2]。28歳の時に初めて馬主となり[6]、1955年に馬主登録を行った[2]。1989年4月には日本馬主協会連合会の会長に就任した(1993年3月まで)[10]。
1969年には北海道えりも町の田中牧場を買い取り「えりも牧場」(1983年に「えりも農場」、2003年に「エクセルマネジメント」に改称)として再建した[6]。
「エリモ」の冠名を用いた関連名義として、息子の山本敏晴(株式会社西欧館元代表、1957年5月24日[4] - 2013年10月17日(56歳没)[11])のほか山本菊一(サンアパレル株式会社元代表、1930年11月[12] - 2013年8月29日(82歳没)[11])がいる。また孫の山本将裕はエクセルマネジメント代表を務めていたが、2008年5月8日[13]、31歳の若さで不慮の事故のために死去している[14]。
主な所有馬
八大競走・GI競走優勝馬
- エリモジョージ(1975年シンザン記念、皐月賞3着、1976年天皇賞・春、函館記念、京都記念、1978年京都記念、鳴尾記念、宝塚記念など)
- エリモエクセル(1998年優駿牝馬、1999年中京記念、マーメイドステークス、府中牝馬ステークス)
- エリモシック(1996年秋華賞2着、1997年エリザベス女王杯)
重賞競走優勝馬
- パッシングゴール(1972年新潟記念、関屋記念、天皇賞・秋2着)
- エリモシルバー(1971年CBC賞)
- エリモホーク(1972年
アスコットゴールドカップなど)
- エリモジエニー(1971年阪神4歳牝馬特別)
- エリモマーチス(1974年札幌記念、毎日杯)
- エリモファーザー(1976年毎日杯)
- エリモカップ(1973年函館記念、1972年ガーネットステークス、中京記念)
- パッシングベンチャ(1976年京都大賞典)
- サニーフラワー(1979年スプリンターズステークス、牝馬東京タイムズ杯)
- サニーシプレー(1980年阪神3歳ステークス)
- エリモローラ(1982年毎日杯、1983年京都記念、京阪杯、1984年日経新春杯)
- エリモターン(1989年京都大障害・春)
- エリモフォーサイト(1994年阪神障害ステークス・春)
- エリモダンディー(1997年京阪杯、1998年日経新春杯)
- エリモブライアン(2000年菊花賞3着、2001年ステイヤーズステークス)
その他の所有馬
- パッシングサイアー(1982年白百合ステークス、菊花賞2着)
- エリモタイヨー(1982年阪神3歳ステークス3着、1984年エメラルドステークス、短距離ステークス、比叡ステークス)
- エリモファイナル(2005年紅梅ステークス)
- エリモエクスパイア(2007年天皇賞・春2着、ダイヤモンドステークス2着)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『全国繊維企業要覧』昭和61年版 西日本編 エの部 大阪75頁
- ^ a b c d e 「インタビュー 出光ケイのおじゃまします」『心ゆたかに』第2-5巻第2号、京都馬主協会、1998年。
- ^ a b c 「お悔やみ」『心ゆたかに』第51巻第1号、京都馬主協会、2019年1月、102頁。
- ^ a b 「新入会員紹介」『心ゆたかに』第30巻第1号、京都馬主協会、1997年、36頁。
- ^ 「新入会員のご紹介」『心ゆたかに』第38巻第1号、京都馬主協会、2005年、24頁。
- ^ a b c “第4回 山本慎一さん”. わたしの勝利. 一般社団法人 京都馬主協会 (2011年8月10日). 2023年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月16日閲覧。
- ^ 「『食糧危機時代』に先駆けて牧場経営花盛り――大手企業続々進出で、多種多様の牧場店開き」『実業往来』第275号、実業往来社、1974年11月、76頁。
- ^ 『リクルートブック』大学編 1981 全国版 2186頁
- ^ 「豊川カントリー五百八十一万円で正会員募集――ニューキャピタルGC4月11日完工式」『中部経済界:地域の活性化を探究する月刊誌』第36巻第385号、経済批判社・中部経済界、1999年4月、51頁。
- ^ “役員・歴代会長紹介”. 日本馬主協会連合会. 2023年3月16日閲覧。
- ^ a b 「お悔やみ」『心ゆたかに』第46巻第1号、京都馬主協会、2014年、56頁。
- ^ 『全国繊維企業要覧』昭和52年版 西日本篇 サの部 大阪158頁
- ^ 「お悔やみ」『心ゆたかに』第41巻第2号、京都馬主協会、2008年、36頁。
- ^ “【ダービー】前田幸治氏も世界獲り宣言”. デイリースポーツ (2013年5月27日). 2025年3月26日閲覧。
参考文献
- 『全国繊維企業要覧』昭和52年版、昭和61年版 各西日本編(信用交換所大阪本社、1985年9月)
- 『実業往来』第275号(実業往来社、1974年11月)
- 「『食糧危機時代』に先駆けて牧場経営花盛り――大手企業続々進出で、多種多様の牧場店開き」
- 『リクルートブック』大学編 1981 全国版(日本リクルートセンター、1980年)
- 『中部経済界:地域の活性化を探究する月刊誌』(経済批判社・中部経済界、1999年4月)
- 「豊川カントリー五百八十一万円で正会員募集――ニューキャピタルGC4月11日完工式」
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