山口組分裂以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 00:30 UTC 版)
2015年(平成27年)8月27日、四代目山健組が六代目山口組から離脱し、新しく結成された神戸山口組の中心組織となる。2017年(平成29年)5月9日には四代目山健組若頭に昇格し、2018年(平成30年)5月16日、山健組を相続し、五代目山健組組長となった。これに伴い、中田は神戸山口組の直参となり、若頭補佐・若頭代行といった執行部職を歴任する。 2019年(令和元年)12月3日、殺人未遂及び銃刀法違反容疑で兵庫県警に逮捕される。これは、同年8月21日に弘道会関連施設前にて弘道会系組員が銃撃され重傷を負う事件が発生しており、中田本人がこの事件での実行犯である可能性が濃厚となった為である。逮捕後、身柄を神戸拘置所に移送され同年12月25日には、神戸地検に起訴される。かつて山口組内での最大勢力として知られていた組織の長が自ら銃撃した衝撃的な事案であり、当初は業界関係者や警察当局、マスメディアの間で情報が錯綜した。 2020年(令和2年)7月、勾留中でありながら、山健組執行部に神戸山口組からの離脱を指示、翌8月には、五代目山健組を一本独鈷の独立組織とした事を宣言する書状を発表した。なお、9月10日付けで神戸山口組から除籍処分を受けている。
※この「山口組分裂以降」の解説は、「中田浩司」の解説の一部です。
「山口組分裂以降」を含む「中田浩司」の記事については、「中田浩司」の概要を参照ください。
- 山口組分裂以降のページへのリンク