尾道松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 19:41 UTC 版)
国鉄尾道駅前の鶴水館という旅館には、第一劇場という演劇場が併設されていた。1948年、この演劇場を松竹が借り上げて改装して直営館とし、シネマ尾道の前身である尾道松竹が開館。当時の尾道旧市街地には、尾道松竹をはじめとして、東映、日活、東宝、大映などの直営館が存在した。1950年代には『君の名は』や『二十四の瞳』などの名作が続き、毎日立ち見が出るほどの盛況だった。尾道松竹は家族連れでにぎわい、経営者だった織田恭一は「入場券を売るのも大変じゃったわい」と回想する。1963年には現在地に建て替えられ、ビルの1階にパチンコ巨大ホール、2階に尾道松竹が入居した。 1973年には松竹が撤退して直営館から外れ、東宝の封切り館や成人映画館としての機能を有した。家庭へのテレビの普及やレジャーの多様化で客足が鈍るようになり、1960年代以降には経営難に陥った。1960年代から1970年代にかけての尾道市には映画館が10館あったが、1993年には尾道松竹が尾道市唯一の映画館となった。2001年10月には尾道松竹が廃業し、「映画の街」でありながら映画館がなくなった。尾道市民の映画館への関心は遠のいており、尾道松竹の閉館時も地元ではあまり話題にならなかったという。
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