小野玄妙とは? わかりやすく解説

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小野玄妙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 04:35 UTC 版)

おの げんみょう

小野玄妙
生誕 小野金次郎
(1883-02-28) 1883年2月28日
日本横浜洲干町
死没 (1939-06-27) 1939年6月27日(56歳没)
著名な実績 『大正新脩大蔵経』の編纂、仏教美術の研究
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小野 玄妙(おの げんみょう、1883年2月28日 - 1939年6月27日)は、日本の仏教学者浄土宗僧侶である。字は二楞学人。『大日本仏教全書』『仏教大辞典』の編纂作業に関わったほか、『大正新脩大蔵経』の編纂主任をつとめた。また、仏教美術の研究をおこなった[1]

生涯

1883年(明治16年)2月28日、横浜・洲干町にて小野兼吉・スミのもとに誕生する[2][3]大橋俊雄『浄土宗人名事典』によれば次男[3]、坂井栄信「小野玄妙先生小伝」によれば長男であり、姉が2人いた[2]。幼名は金次郎。父の兼吉は旗本ないし御家人であり、甲府にいたが、明治維新ののち没落して横浜に移り、当時は大工として生計を立てていた[2][4]。母のスミは旗本・浜川家の人物であり、若いときは藤堂氏に奉公していた[2]

1896年(明治29年)、数え年で14歳のときに父を亡くし、母とともに鎌倉光明寺の吉水大智につき、得度した。この際、玄妙の僧名を与えられた。その後、16歳までに『大蔵経』をはじめとする寺の蔵書を読破し、うち「楞伽経」「楞厳経」に影響を受けて二楞学人を名乗るようになった[2]。1900年(明治33年)[2]、あるいは1902年(明治35年)に浄土宗学東京支校に入学し、在学中の1903年(明治36年)に論文「大乗非仏論を駁す」を発表した[3]。その後も「二楞学人」の号でたびたび仏教雑誌に論文を投稿したが、その正体を知る人は少なかったため、二楞学人の正体を僭称する人物もあらわれたという[4]。その後、1904年(明治37年)に、浄土宗高等学院に進み[3]、1905年(明治38年)に宗教研究会より『仏教年代考』を上梓した[1][3]。経済的理由により2年で中退した[3][4]。在学中には短期間ではあるが日露戦争にも従軍した[2]

1906年(明治39年)より望月信亨のもとで『仏教大辞典』の編纂作業に携わった。また、この資料収集にあたって『大日本仏教全書』が発刊されることとなり、この編纂作業にも携わった[2]。そのほか、本田賢祐らとともに雑誌『宗教界』の編集にも関与した[3]。1917年(大正6年)、埼玉県埼玉郡新和村(現・越谷市大成町)の浄音寺住職となる[1]。また、1918年(大正7年)より宗教大学教授となる。1920年(大正9年)ごろより仏教美術の研究をおこなうようになり、1921年(大正10年)には帝国美術院の嘱託のもと大分県佐賀県石仏を調査する[3]。1922年(大正11年)には望月との衝突により、宗教大学の職を辞す[2]。1923年(大正12年)より、高楠順次郎渡辺海旭のもとで『大正新脩大蔵経』の編纂主任をつとめる[3]

1928年(昭和3年)に高野山大学教授、1929年(昭和4年)に東洋大学教授となる[5]。1932年(昭和7年)に、『仏教之美術及歴史』によって、京都帝国大学より文学博士を授与される[2]。1934年(昭和9年)より文部省国宝調査委員として、国内寺院の蔵経の調査をおこなったほか[3]大蔵出版にて満洲国政府の嘱託のもと『大清歴朝実録』の影印本を出版した。1939年(昭和14年)6月27日、脳溢血で急逝した[2][3]

著作

帝国美術院『日本美術年鑑』によれば、小野の主要な著作は以下の通りである[5]。また、1977年(昭和52年)には小野玄妙著作集刊行委員会の編により、開明書院から全10巻の『小野玄妙仏教芸術著作集』が刊行されている[6]

  • 『仏教年代考』、宗教研究会、1905年、doi:10.11501/817281
  • 大日本仏教全書』、仏書刊行会。
  • 『仏教之美術及歴史』、仏書研究会、1916年、doi:10.11501/943510
  • 『仏教美術概論』、丙午出版社、1917年、doi:10.11501/943643
  • 『仏像の研究』、丙午出版社、1918年、doi:10.11501/943655
  • 『画図解説仏教美術講話』、蔵経書院、1921年。
  • 『大分の石仏に就て』、帝国美術院、1922年。
  • 『健駄邏の仏教美術』、丙午出版社、1923年、doi:10.11501/971067
  • 『極東の三大芸術』、丙午出版社、1924年、doi:10.11501/970520
  • 『五台山写真集』、1924年。
  • 『仏教文学概論』、甲子社書房、1925年、doi:10.11501/971154
  • 『仏教美術』、甲子社書房、1926年、doi:10.11501/971195
  • 『大乗仏教芸術史の研究』、大雄閣、1927年、doi:10.11501/1190457
  • 『仏教概説』、1928年。
  • 『仏教神話』、大東出版社、1933年、doi:10.11501/1179513
  • 『仏教経典総論』、大東出版社、1936年。
  • 『仏教の美術と歴史』、大蔵出版。1937年、doi:10.11501/1257493

出典

  1. ^ a b c 小野玄妙”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 坂井栄信「小野玄妙先生小伝」『小野玄妙仏教芸術著作集 別冊』開明書院、1977年、3-17頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 大橋俊雄「小野玄妙」『浄土宗仏家人名事典 近代篇』東洋文化出版、1981年、45-46頁。 
  4. ^ a b c 大橋俊雄「近代高僧伝 小野玄妙」『浄土』第27巻第10号、法然上人鑽仰会、1961年、14-15頁。 
  5. ^ a b 小野玄妙 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2025年2月5日閲覧。
  6. ^ 「事業の経過および関係者一覧」『小野玄妙仏教芸術著作集 別冊』開明書院、1977年、60-62頁。 


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