小説「成吉思汗の秘密」
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「義経=ジンギスカン説」の記事における「小説「成吉思汗の秘密」」の解説
昭和33年(1958年)、推理作家高木彬光が推理小説『成吉思汗の秘密』を著した。 奥州藤原氏三代の富貴栄華の源泉は北海道を越えて、樺太、シベリアの黄金入手にあり、これにより中尊寺の黄金の仏像などを建立したと、大胆な推理を神津恭介が展開している。義経は北へ逃亡するというよりも軍資金のための黄金をシベリアまで探しにいったと作家の高木は推理し、主人公の神津恭介に言わせている。当時は温暖であり、渡党などと和人が交易をしており、大陸との接点もあったと推定されるので有り得ない説ではない。 義経をチンギス・ハーンとする論理の弱さ例:『成吉思汗』の「汗」を「水と干」に分けると、 「成 レ吉 思 レ水干」となり、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、「吉成りて、水干を思う」 となる。水干とは衣装をまとった白拍子の静御前を指して偲んでいるという説。(ただし、「汗」はハーンの音訳であり、3世紀頃から用いられてきた用法である)など矛盾点が歴史作家海音寺潮五郎に批判された。これに対し、高木は表立った反論は行わず、作品を改訂した際に神津恭介が「ある歴史小説家」への回答を行うくだりを追加している。また、「成吉思汗は身体が大きかったのに、義経は身体が小さかったではないか」と云う指摘が記録されているが、これに対しては、「弁慶がなりすまし、義経は裏で采配を振るったのではないか」という推測を繰り広げている。なお、最近の研究ではモンゴル日本大使館の肖像画に体の小さなチンギス・カンが確認されており、この点は問題が無くなっている。
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