小学校時代・独学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 09:34 UTC 版)
7歳の時、村の小学校に通う事となった。ところが、腕白で学校を嫌ってどうしても行かず、1年休学。いつも両親から持て余し者として、叱られてばかりいた。父はよく縛り上げて座敷牢などに入れて折檻し、母はその行く末を案じた。2年目の8歳の時にやっとのことで入学できたものの、1年生の時に数え方を嫌ったので勘定が出来なかった。母はよく家庭教師となって箸を持って両手で数え方を習わした。 14歳の時日清戦争が始まり、叔父の清輔が出征。そのため路一は、学校へ行きながら叔父のやっていた軍隊への馬糧請負を少年の身で後を一手に引き受けることになる。人夫を50名も使い、荷役もやれば、貫目もはかり、荷渡しをやった。 人夫の支度金に窮し、ある朝、食う米さえない状態になった再に路一は一策を案じ、人夫に向かって「皆寝ていよ、その内に親爺が来るから…」と皆を寝かせておいて、自分だけ起きて、近所の店から5升の米を借りてきて賄った。 小学校を卒業する頃、叔父の清輔が事業に手を出し、林家は借財に苦しんでいた。それで学校を小学校だけで止めることとなり、その時独学で身を立てる健げな決心を抱き「中央公論」や「太陽」を買い求めて勉強した。非常な読書家でいわゆる師なき自由学問をやった。
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