小国和紙(おぐにわし)
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小国和紙の起源は、はっきりとはしていませんが記録によれば、天保2年(1682)、現在の小国町山野田地区にて20戸の農家が農耕と兼業で紙を漉いていたとあり、以来、今日までその抄造が伝承されています。 原料となる楮は、栽培・伐採・皮剥ぎを自ら行ない、特に撫ぜ皮にする作業は入念にし、冬期間には厳しい労働となる水洗いを少なくしています。 漉き上げた紙床(しと)は保存のため雪の中に埋め、その自然の重さによって圧搾し、春の晴天を待って天日で板干しされます。 そういった雪国ならではの技法が貴重なものと高く評価され、国からは無形文化財の記録選択に、県からは文化財に指定されています。 例にもれず、洋紙の発達と社会構造の変動で、小国和紙の需要は減り、それにつれ手漉き技術者も少なくなり、将来が危ぶまれる状況にありましたが、地域の住民の協力を得て、以前クワ畑であった跡地に楮の作付けを行なうなど、地元の楮を使用した変わらぬ小国わしを末永く伝承していくように努めています。 |
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小国和紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/15 03:30 UTC 版)
小国和紙(おぐにわし)は、新潟県長岡市小国地域(旧刈羽郡小国町)で伝統的に生産されている和紙。農耕地域である小国地域では、積雪があり農業の行えない冬季の収入源としての目的を持ち、農業の副業として営まれてきた。
小国和紙は雪を使用するのが最大の特徴である。まず漂白の工程では雪による漂白力を利用し、乾燥までの工程では春まで雪の下に埋めておき、雪の重さで水分を減らし、春に近づいた頃に日光で乾燥させる。雪に埋める工程を「かんぐれ」と呼び、各家で作られていた頃は家族総出で行う大規模なものであった。
小国和紙は江戸時代かそれ以前から製造されており、明治時代の初頭には最盛期を迎え毎年800万枚以上が生産されたものの、産業の近代化に押され、以降減少の一途を辿る。1973年には日本の無形文化財に指定され、翌年の1974年には新潟県の無形文化財に指定された。2006年時点では小国和紙は2つの工房でのみ生産されている。
外部リンク
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