小口忠
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小口 忠(おぐち ただし、1880年 - 1942年5月24日)は、日本の映画監督、脚本家、実業家である[1][2][3][4][5][6][7]。本名同じ[1][2][3]。日本映画の初期において、吉沢商店、日活向島撮影所の脚本家、筆頭監督として数多くの作品を手がけ、横田商会・日活関西撮影所の牧野省三、帝国キネマ演芸の中川紫朗らとともに、初期量産時代の日本のサイレント映画の基礎を築いた人物として知られる[3]。40代で映画界を引退し、妻を助け、実業家に転身した[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 折井ほか[2009], p.81-83.
- ^ a b c d X生[1913], p.103-107.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n キネマ旬報社[1980], p.95-96.
- ^ 小口忠、jlogos.com, エア、2013年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 小口忠、日本映画データベース、2013年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 小口忠、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 小口忠、日活データベース、2013年3月27日閲覧。
- ^ 田中[1975], p.237.
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『小口みち子』 - コトバンク、2013年3月27日閲覧。
- ^ 佐藤[2006], p.21-23.
- ^ 田中[1975], p.359-361.
- ^ 田中[1975], p.374.
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月28日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年3月28日閲覧。
- ^ 日活向島と新派映画の時代展、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2013年3月28日閲覧。
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