尊氏との関係とは? わかりやすく解説

尊氏との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:37 UTC 版)

足利直義」の記事における「尊氏との関係」の解説

観応の擾乱天下巻き込んで争った尊氏直義だが、2歳違い同母兄弟ということもあって元来仲はすこぶる良かった幕府滅亡後鎌倉預かっていた直義中先代の乱敗走したときには尊氏後醍醐天皇勅許得ぬまま軍勢催して東国下り直義救援した直義は、乱の平定帰京しようとする尊氏説き鎌倉に留まらせた。これを警戒する尊氏派の運動によって追討令が出ると、尊氏後醍醐の恩を思い出家して恭順の意を示そうとするが、直義らは尊氏の罪を一切許さないとする偽の綸旨まで示して翻意させようとした。さらに軍勢率いて西上した直義らが敗北すると、これを救うべく尊氏もついに官軍立ち向かうことになったこのように建武政権対抗し積極的に武家政権再興推し進めたのは直義以下の武士たちで、弟想い尊氏板挟みの末に後醍醐反旗を翻す決断至ったといえる京都手中に収め足利方の推す光明天皇践祚してわずか2日後尊氏石清水八幡宮奉納した願文には「尊氏道心給ばせ給候て、後生助けさせおはしまし候べく候猶々、とく遁世したく候。道心給ばせ給候べく候今生果報に代へて、後生助けさせ候べく候」とある。持明院統天皇上皇擁して逆賊の名を一応逃れたとはいえ後醍醐を逐ったことは尊氏沈鬱にし、出家遁世の志を起こさせた。これに続けて今生果報をば、直義に給ばせ給ひて、直義安穏に守らせ給候べく候」と、弟想い心情現れるとともに新たな政治現実直義担っていくものとい意識も滲ませている。

※この「尊氏との関係」の解説は、「足利直義」の解説の一部です。
「尊氏との関係」を含む「足利直義」の記事については、「足利直義」の概要を参照ください。

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