専制君主制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、293年に広大な領土を東西に分け、2人の正帝と2人の副帝が共同で統治する四分治制(テトラルキア)を導入した。ここで「アウグストゥス」が正帝、「カエサル」が副帝の称号となった。以後、東西の帝国が統合したり分裂したりを繰り返し、395年に皇帝テオドシウス1世が没すると、テオドシウスの長男アルカディウスが帝国の東の正帝に、次男ホノリウスが帝国の西の正帝になった。 詳細は「ドミナートゥス」を参照 東西のローマ帝国における皇帝については以下で述べる。
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専制君主制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 19:39 UTC 版)
284年に即位したディオクレティアヌスは、軍人皇帝時代を収拾すべく、改革を行った。これ以降は「アウグストゥス」の称号は実質的な皇帝の称号となり、また「カエサル」の称号は副帝(次期皇帝)を表す称号となった。従来のローマ皇帝は建前としての共和制を遵守していたが、これ以降のローマ帝国は建前も実質も共に君主制に移行したとされ、これ以降の体制を歴史学上の用語で「専制君主制」(ドミナートゥス)と呼んで、いわゆる元首政は終焉したと考えられてきた。ただし、元首政の残滓はその後も継承されており、たとえば中世の東ローマ帝国においても「市民と軍隊の信任によって選ばれたローマ皇帝」という建前は生きていた。 古代末期に関する研究が進んだ今日では、元首政に代わる専制君主制なるものは存在しなかったと考えられるようになってきており、「専制君主制」という呼称は使われなくなってきている。
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