寄宿舎移転問題とは? わかりやすく解説

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寄宿舎移転問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)

京都大学吉田寮」の記事における「寄宿舎移転問題」の解説

1911年6月29日山本良吉学生監突如旧寄宿舎1912年7月に閉舎すると発表した旧寄宿舎閉鎖後解体、その部材近衛地区に開舎予定の「新寄宿舎」に転用するという。 舎生は完全に不意を突かれた。京大当局以前から旧寄宿舎解体再構成して新寄宿舎建築する計画進めていたのだが、学生監は舎生に新旧両舎並立互に切磋する可なり」と矛盾する説明をしていたからだった。また移転発表はほとんどの舎生が帰省している夏季休暇なされたため、舎生は寄宿舎移転既成事実化した9月旧寄宿舎戻ってきてようやく事態に気が付いた[要ページ番号]。 寄宿舎移転三代目京大総長菊池大麓意向だったといわれる菊池青少年健全な育成切磋琢磨が必要であることには同意していたが、少なくとも新寄宿舎は「切磋団体」である以前に、学生とくに優秀な学生福利厚生施設にしたいと考えていた。寄宿舎入舎選考を持つことにも否定的だった12月15日菊池総長は舎生と談話会を開き概ね学生監と同じ説明をした。新旧寄宿舎並立財政不可能である、新寄宿舎特待生旧寄宿舎舎生を優先的に入舎させる、ただし新寄宿舎京大当局直接監督し、(舎生が実質的な決定権を持つ)入舎選考改め可能性がある、等々。しかし大方の舎生は、新寄宿舎勉強ができる者なら無条件入舎させることや、舎生を入舎選考から締め出す可能性が高いことに激し嫌悪感持った。舎生千秋二郎従来入舎選考を「此制度は実に完全なる自治制根源なり」とし、「新舎の制度には絶対に容れられず」と書いた。だが移転阻止不可能と判断されたため、舎生は舎生総会開いて寄宿舎舎生団体」を(京大当局解散される前に)舎生自ら解散することを決議したまた、寄宿舎には「高等下宿屋以外の価値を見いだせないとして旧寄宿舎と新寄宿舎絶縁決議した。舎生は精一杯怒り堪えていたが、OB中には無能無智なる当局者」「クーデター」と直接的に京大当局非難する者もいた。舎生とOB1912年2月10日寄宿舎舎生団体解散式を行った。式中、出席者らは悔し涙流していたという。

※この「寄宿舎移転問題」の解説は、「京都大学吉田寮」の解説の一部です。
「寄宿舎移転問題」を含む「京都大学吉田寮」の記事については、「京都大学吉田寮」の概要を参照ください。

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