容疑者・田中新兵衛の自害とは? わかりやすく解説

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容疑者・田中新兵衛の自害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 15:13 UTC 版)

朔平門外の変」の記事における「容疑者・田中新兵衛の自害」の解説

事件現場には、犯行使われたと思われる刀が遺棄されていたため、その刀の所有者割り出すことから捜査始められた。凶器の刀は「奥和泉守忠重」の銘があり、薩摩風の拵であったため、当初から薩摩藩関連者の犯行目されたが、犯行現場にわざわざわかりやす凶器遺すというのは薩摩藩陥れる謀略であるという風聞もあった。 事件2日後22日薩摩藩邸に潜伏していた土佐浪士那須信吾姉小路邸を訪れ遺棄された刀が薩摩藩陪臣で、島津内蔵家臣であった田中新兵衛のものである証言した。これを受けて姉小路家は、京都守護職町奉行対し田中犯人として告訴した26日武家伝奏坊城俊克および三条実美依頼により、京都守護職会津藩は東洞院蛸薬師田中寓居急襲し田中新兵衛およびその場居合わせた仁礼源之丞とその下僕太郎逮捕し坊城邸へ連行した。しかし会津藩京都守護職職掌上、容疑者の逮捕まで行ったが、薩摩藩との関係悪化恐れ拘留取調拒否した。仁礼は浅野家、下僕太郎上杉家預けられたが逃亡しこのため藩主斉憲は帰国できなくなっている。 坊城は、京都町奉行永井尚志命じて町奉行所拘留させたが、田中は隙を見て奉行所内で自決してしまい、この筋からの真相究明不可となった。この責任取り永井京都所司代牧野忠恭越後長岡藩主)に謹慎申し出ている。二十八日には十八有志会談した結果実行犯田中相違ない結論出されている。

※この「容疑者・田中新兵衛の自害」の解説は、「朔平門外の変」の解説の一部です。
「容疑者・田中新兵衛の自害」を含む「朔平門外の変」の記事については、「朔平門外の変」の概要を参照ください。

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