家庭と研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)
「最初の女子大学生」3人のうち、結婚して家庭に入ったのはらく一人である。らくは家庭に入ったあとも数学の研究を続けていた。らくの生涯を研究した志賀祐紀(お茶の水女子大学歴史資料館)は、「家庭と研究を両立させようと挑んだ女性の先駆けとして、その生涯は魅力的であるといえる」と記している:4。 1933年に掲載された「Linkageニ関スル著作ノ目録」は1938年にウィーンの数学者アントン・E・マイヤー (de:Anton Mayer (Mathematiker)) が引用しており、マイヤーが送った別刷を手にしたらくは、その喜びを書き残している:22。さまざまな困難を乗り越え、多くの支援を得て学問の道に進んだにもかかわらず、研究の現場を離れたことについては、やはり複雑な思いを持っていたようであるが、外国の研究に引用されたことで葛藤が晴れる思いであったようである:24。旅先にあった平三に送った手紙で「私の専門の方の事で非常に大きな喜びがございました」「此後更に拍車をかけ 希望を持つて勉強に取りかかる決心を致しました」と報告していることから:24-26、志賀は平三が妻が家庭で数学を続けることに反対せず、むしろ暖かく見守っていたのではないかとしている:26。 画家の妻として生きることを選択、結果として研究者としての道を断念することにはなったが、後年「もちろん、後悔などは少しもございません」、「幸い主人はああいう仕事をしてくれましたので私はその中に充実して生きることができた、と満足しています」:120と述べている。
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