家庭と子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:22 UTC 版)
「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」の記事における「家庭と子女」の解説
147年11月30日、小ファウスティナは最初の子供を生み、アウレリウスは長女となる娘にガレリア・ファウスティナと名付けた。ガレリアはその後の23年間で生まれた14人の子供(2度の双生児を含む)の長子となった。その翌日である12月1日にアントニヌスはアウレリウスに護民官職権を与えた。ガレリア・ファウスティナは元老院議員グナエウス・クラウディウス・セウェルスと結婚してグナエウス・クラウディウス・セウェルス(西暦200年に執政官叙任)を生んだが、175年以降からアウレリウスが亡くなる180年以前に病没した。 149年、二度目の出産では双子の兄妹(二卵性双生児)が生まれ、双子の誕生を祝う硬貨(temporum felicitas)が発行された。長男となる兄はゲメルス、次女となる妹はルキッラ(英語版)と名付けられた。この内、次女ルキッラは成人して後にアウレリウスの共同皇帝となったルキウス・ウェルスと結婚した。跡継ぎである長男ゲメルスは子供の死亡率が高い古代ローマでは良くあった事とは言え、不幸にも1歳で亡くなった。それから短期間に四人の子供(次男・三男・四男・三女)が産まれたが157年に四男を失い、161年に相次いで次男・三男・三女を失った。次男と三男については出生を祝う硬貨と二人の墓で分かったことであり、碑銘には「アントニヌス」と「アエリウス」と刻まれている。三女はドミティア・ファウスティナ、四男はハドリアヌスという名で記録されている。 相次いで5人の子供に先立たれたアウレリウスは動じる事無く不幸を受け止めた。彼は「自省録」でイーリアスの有名な言葉を引用している。 木に実る葉風はその幾つかを地面へと落とす子供とはそういうものだ ―――『イーリアス』 6.146 自身の母ドミティア・ルキッラが亡くなってから5年後となる159年に四女ファデイラが生まれ、翌年となる160年に五女コルニフィキアが生まれた。後にファディラは元老議員マルクス・ペドゥカエウス・プラウティヌス・クィントゥルス、コルニフィキアは元老議員マルクス・ペトロニウス・マメルティヌスとそれぞれ結婚して父の治世を固めるのに貢献した。 そして161年、12年ぶりに双子の子供が出産され、二人の男児を授かることになる。双子はそれぞれ五男ティトゥス、六男コンモドゥスと名付けられた。続いて翌年にも七男ウェルスも生まれ、暫くは子育てに専念するべく子供は儲けられなかった。9年後の171年、久しぶりに子供を儲けて六女サヴィナと名付けられるが、彼女が夫妻の最後の子供となった。 ちなみに158年以前に没した子供がいるが、早世した為か性別不明である。
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