実験場跡地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 04:21 UTC 版)
1952年に実験場は整地され、跡地に残されていたトリニタイトは廃棄された。1965年12月21日にトリニティ実験場はアメリカ国定歴史建造物(National Historic Landmark)に指定され、1966年10月15日には国定史跡(National Register of Historic Places)にも指定された。 実験から50年以上が経過した2003年現在でも実験場跡地では通常環境の約10倍というわずかな残存放射線が検出される。アメリカ陸軍当局は、トリニティ実験場に1時間滞在する間に浴びる放射線の量は食物を摂取したり日光を浴びたりする際に受ける放射線量よりもずっと少ないとしている 。実験場に建てられている高さ約3.65 mの溶岩でできた記念碑は爆発の中心地表を示している。この近くには「ジャンボ」もそのまま残されている。 トリニティ実験場は現在も「核ツアー(atomic tourism)」の客たちにかなり人気の目的地となっているが、実験場跡が開放されるのは年に2回、4月と10月の第1土曜日のみである。2005年7月16日にはトリニティ実験60周年を祝う特別ツアーが企画され、数百人(報道によっては数千人)の訪問者がこの記念日を祝うために集まった。 グラウンド・ゼロ等の方向を示す道標 ジャンボ グラウンド・ゼロオベリスク様の記念碑とファットマンの模型が見られる
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