実業界、そして導師へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:05 UTC 版)
帰国後は時事新報の記者を務め、実業界に転身すると東京実業貯蔵銀行(後の1936年に東京貯蔵銀行・川崎貯蓄銀行・川崎第百銀行と合併し第百銀行となり1943年に三菱銀行へ合併)の頭取などを歴任し実業界で活躍していたが、1919年(大正8年)5月末のある日、頭山に代わって講演を行っている最中に突然感じるところがあり、頭山に相談した上で一週間の間に職を辞し、財産を処分して6月8日に「統一哲医学会」を創設。街頭にて心身統一法を説き始める。その後、本部を芝公園内においた。 その後、統一哲医学会は発展し、政財界の実力者も数多く入会するようになった。1940年(昭和15年)には「統一哲医学会」を「天風会」に改称。1962年(昭和37年)3月には国の認可により「財団法人天風会」となった。1968年(昭和43年)12月1日に死去。葬儀委員長は笹川良一が務めた。墓所は東京都文京区大塚の護国寺。2011年(平成23年)、内閣府認定公益財団法人に移行。
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