第百銀行とは? わかりやすく解説

第百銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 05:00 UTC 版)

1930年代の川崎第百銀行の広告

第百銀行(だいひゃくぎんこう)はかつて存在した都市銀行(東京)川崎財閥の中核銀行だったが、1943年 三菱銀行に吸収合併された。本店は東京都中央区日本橋一丁目7-9(現在ダヴィンチ日本橋179ビル所在地)にあった。行章は「百」の字を円形に図案化した物を使用。

沿革

池田謙三。大正元年より第百銀行頭取。日本経済団体連合会の前身・日本経済聯盟会結成にも関わる
第百銀行を合併した三菱銀行は、平成8年に横浜正金銀行を引き継ぐ東京銀行と合併(東京三菱銀行)。東京三菱銀行は、三和銀行東海銀行が合併したUFJ銀行と合併し、現在は三菱UFJ銀行になっている。
(川崎銀行の沿革は川崎財閥の項を参照の事。)
当時、川崎第百銀行の経営状況は停滞しており、同行はこの事態を打開するためには更なる零細預金を吸収し、これを中小企業金融へ振り向ける必要があった。
また当時、政府は低金利政策を打ち出してきたため、川崎財閥では専業貯蓄銀行の先行きは暗いと判断。経営環境の転換を図る事となったのも合併要因の一つである。
  • 1936年(昭和11年)11月11日 - 第百銀行と改称。
  • 1939年(昭和14年)2月27日 - 羽田銀行(東京市蒲田区 1900年開業)を合併。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 三菱銀行に吸収合併。
店舗数が遙かに多い第百銀行[注釈 1]を三菱銀行が吸収したこの合併は当時「蟻が象を飲み込んだ」と言われた。なお、この合併により金融財閥であった川崎財閥はその根幹が消滅した。

合併時の処理

合併比率は第百銀行10株に対し三菱銀行10株と対等ではあったが、別に三菱銀行から第百銀行株主に対して交付金(額面100円一株につき10円、50円、25円額面に対しても同等の比率)が支払われた。三菱銀行は会長制を採っていたが合併を機に頭取制に改め、頭取には前三菱銀行会長の加藤武男、副頭取には前第百銀行頭取の関根善作が就任した[1]

脚注

注釈

  1. ^ 1942年下期の三菱の店舗数が66なのに対し第百の店舗数は112であった(いずれも出張所等も含む)。

出典

  1. ^ 第百銀行を吸収合併(昭和18年2月8日 朝日新聞 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p737毎日コミュニケーションズ刊 1994年

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