定住地としてのウィクス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/11 03:35 UTC 版)
これらのウィキ(vici)は計画都市(キウィタス)とは異なっていて、古代ローマにおける植民地における地域の経済・行政上の公的な中心地であり、ウィクスは、退役兵の定住地や公式の政治的集団が既存の定住地から作り上げた自治都市だった。. 未計画で基本的にいかなる公共の行政建築物も持たないウィキは他の定住地と異なり、特別な法的地位を持たず、しばしばローマの軍隊から利益を得るために開発された。とんどの軍団駐屯地とともにあってウィクスは軍隊のために娯楽を提供したが、多くは十分に産業化されており、特に金属とガラス業は発展していた。いくつかのウィキは軍隊の場所とは直接の関係はないようだった (例:ウィクス・マルティス・トゥデルティウム(英語版)). 一般的にウィキはカナバエ(英語版)(軍団周辺にできる一般人の居留地)とは異なっていた。カナバエが主要軍団要塞(例:エボラクム(現ヨークシャー)、ウィンドボナ(現ウィーン)、ドゥロストルム(英語版)(現シリストラ)などの域外居留地であるのに対して、ウィキは補助的な単位の域外居留地だった。 当初は一時的な存在であり、多くのウィキは移動単位に従う一時的な場所だった。ひとたび永続的な駐屯地が建設されるとそれらは大きな町へと成長した。しばしば多数の公式のキウィタスと植民市は居住には不十分であるが、人々は町に住むことを望んだので、そうした場合にウィキは近隣には他に存在しないの既存の公認された町であることもあり、幅広い居住者を魅了したわけである。Vercovicium (ハウスステッド(英語版)(ハドリアヌス長城にある砦))などでは、要塞ごとに居留地が成長し、特に3世紀にひとたび兵士の婚姻が許可されるようになるとウィクスが多数発展した。 初期の ウィキは市民の行政府を持たずローマ軍団司令官の直轄だった。ローマ市民の多くを魅了したこれらの居留地は、後々地方議会を形成することなどを認可された。これらのウィクスには、エボラクム(現ヨーク)などがあり、これらのウィクスは地域の中心地や属州の州都へと成長していったものもある。
※この「定住地としてのウィクス」の解説は、「ウィクス」の解説の一部です。
「定住地としてのウィクス」を含む「ウィクス」の記事については、「ウィクス」の概要を参照ください。
- 定住地としてのウィクスのページへのリンク