定住へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:00 UTC 版)
朝鮮人は主に農業を営み、日本人は製材業や漁業を営んだ。定期的に入港する和船で米などが輸入され島で収穫した大豆との物々交換を通じて両者は交易した。 1881年、江原道から朝鮮人 4 名(裴季周(はいきしゅう)、金大木、卜敬云、田士日)が渡島し農耕を営む。 1883年4月、朝鮮人の入居を開始する。第一陣は30余名であった。 日本の朝鮮本土進出に伴い、日本人の渡島が再開される。 1892年、隠岐から日本人の脇田庄太郎が渡航し、製材のため仮小屋を構え定住する。 1895年、裴季周が鬱陵島の島監に任命される。
※この「定住へ」の解説は、「鬱陵島」の解説の一部です。
「定住へ」を含む「鬱陵島」の記事については、「鬱陵島」の概要を参照ください。
- 定住へのページへのリンク