安八郡の伝説とは? わかりやすく解説

安八郡の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 04:36 UTC 版)

夜叉ヶ池」の記事における「安八郡の伝説」の解説

雨乞いのための生贄として龍神嫁ぐ話が最も一般的で、越前美濃近江の3国に分布しているが、固有名詞具体性などから、そのルーツ美濃国岐阜県安八郡であろう817年弘仁8年)、この年美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われあらゆる作物枯れ寸前であったある日郡司の安八太夫安次は、草むら中に小さなを見つけ、ため息まじりで、「もしそなたが降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう」と語った。 するとその夜安次夢枕昼間の現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲かかって大雨降り作物生き返り救われた。 翌日約束どおり娘をもらう為、小龍神)は若者の姿に変えて安次前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次娘たち事情を話すと、一番心がやさしい次女三女の説もある)が、「村人救っていただいたからには喜んでいきます。」と答えた驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布ありますから、これを嫁入り道具いたします。」と答えた。 こうして娘は龍神元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者龍神と共に揖斐川の上流へ向かっていった。 数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面波立ち巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。 安次は龍となった娘を祀るために、池のほとりと自宅に、龍神祀る祠を建てた。 この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)。 安八太夫安次の子孫は現在も岐阜県安八郡神戸町健在であり、今は石原姓を名乗っている。石原家はもとは当地神主司祭であり、夜叉ヶ池伝説はもともとこの石原家由来説く祖先説話だったと思われる岐阜県安八郡神戸町大字安次にある自宅には、安八太夫安次夜叉を祭る夜叉堂がある。夜叉堂参拝する際、個人宅の為、事前に連絡し予約が必要である。 また、夜叉姫は、夜叉龍神社にて夜叉龍神という名で祀られている。

※この「安八郡の伝説」の解説は、「夜叉ヶ池」の解説の一部です。
「安八郡の伝説」を含む「夜叉ヶ池」の記事については、「夜叉ヶ池」の概要を参照ください。

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