失敗した出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「失敗した出発」の解説
隊は最初に良いスタートを切った。1日約15海里 (27 km) 進んだ。犬達が一生懸命走ったので、最強のチームの数頭を他のチームに付け替えて進み方のバランスを確保するようにした。隊員のオオカミ皮とトナカイ皮の衣服は移動している間の凍り付く気温にも対応できたが、止まったときに蒸れ、夜もほとんど眠れなかった。犬の足が凍傷になった。9月12日、気温が −56 °C (−69 °F) まで下がり、僅か4海里 (7.4 km) 進んだだけで停止し、風よけにイグルーを立てた。アムンセンはこのとき、その季節ではあまりに早く出発したことを認識し、フラムハイムに戻るべきと決断した。頑固さという理由で隊員や犬の命を無駄にしたくはなかった。ヨハンセンはその日記で、このように長く歴史ある旅をあまりに性急に始めされた愚かさについて記し、またイギリス人を倒すという強迫観念の危険性についても記していた。 9月14日、フラムハイムに戻る途中で、南緯80度の補給所に装備の大半を残し、橇を軽くした。翌日、強風と凍るような気温の中で、犬数頭が凍死し、他にも弱って歩けない犬は橇の上に乗せられた。9月16日、フラムハイムから40海里 (74 km) に来て、アムンセンは隊員にできるだけ早く帰るよう命令した。アムンセンは自分の橇を持っていなかったので、ウィスティングの橇に飛び乗り、ヘルマー・ハンセンとそのチームと競争になり、他のものを置いて行った。この3人は9時間後にフラムハイムに到着し、その2時間後にスタッベルードとビアランドが続き、その直ぐあとにハッセルが戻った。ヨハンセンとプレストルドはまだ氷の上であり、食料も燃料も無かった。プレストルドの犬が倒れ、その踵が酷い凍傷になった。彼らは夜半過ぎにフラムハイムに到着し、戻り始めてから17時間以上経っていた。 翌日、アムンセンはヨハンセンに、彼とプレストルドが何故そんなに遅くなったのかを尋ねると、ヨハンセンは怒って、みんなに捨てられたと感じ、隊員を後に残していく指導者を懲らしめようと思ったと答えた。アムンセンは後にナンセンに、ヨハンセンが「激しく反抗した」と伝えた。その結果、ヨハンセンは南極点行の隊から外され、探検家としてはかなりまだ若いプレストルドの下に付けられ、キングエドワード7世半島を探検する隊になった。スタッベルードもその隊に加わるよう説得された。アムンセン隊は、アムンセン、ヘルマー・ハンセン、ビアランド、ハッセル、ウィスティングの5人に減った。
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