太田切発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 22:29 UTC 版)
「太田切川 (長野県)」の記事における「太田切発電所」の解説
伊那谷の鉄道事業者である伊那電気鉄道は、1913年(大正2年)に砥川発電所を建設し、1915年(大正4年)には電力会社の長野電灯から小黒発電所を買収、これらに続く第3の水力発電所として太田切発電所を建設することとした。当初1913年には太田切川とその支流・黒川の水利権を長野県知事に出願していたが、すでに黒川は他の業者によって利用されており、認可には至らなかった。このため1917年(大正6年)、計画から黒川分を除いて再出願した。 地元の村は開発を受け入れる条件として、既存の農業・林業に悪影響を及ぼさないことを求めた。まず、発電に使用した水は既存の灌漑用水の取水に影響を及ぼさない場所に放流すること。また、当時は山林から切り出した材木を搬出する手段として流木(いかだ流し)が用いられていたことから、川の水量が減ったときは発電用水の取水を抑え、その分を流木に回すよう求めた。1917年11月、伊那電気鉄道は条件を受け入れ、地元の赤穂村(現・駒ヶ根市)・西春近村(現・伊那市)・宮田村と契約。1918年(大正7年)5月21日に許可が下りた。工事は同月中に着手され、1921年(大正10年)10月21日に完成した。太田切川から最大0.82立方メートルを取水し、有効落差242.4メートルを確保して最大1,400キロワットの電力を発生した太田切発電所は、伊那電気鉄道の発電所としては最大規模であった。また、一連の建設工事の中で太田切川には駒ヶ根橋が架けられ、取水口まで4キロメートルの間には林道が整備された。 その後、1941年(昭和16年)の配電統制令によって砥川発電所・小黒発電所・太田切発電所は中部配電に移管され、戦後の1951年(昭和26年)になって中部電力に継承された。
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