太宰の死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 02:14 UTC 版)
1948年(昭和23年)6月13日、太宰が死去。12月、大家から立ち退きか買い取りかの二者択一を迫られて東京都北多摩郡三鷹町(現・三鷹市)を去り、東京都文京区駒込曙町(現・本駒込1丁目)に転居。 1949年(昭和24年)8月、文京区駒込蓬莱町(現・向丘2丁目)に転居。1958年(昭和33年)8月、文京区駕籠町(現・本駒込6丁目)に転居。 1960年(昭和35年)2月、正樹が肺炎で死去。享年15。 1964年(昭和39年)、園子が大蔵官僚の上野雄二(当時、大蔵省から外務省に出向中。後に衆議院議員)を婿に迎える。 1978年(昭和53年)5月、人文書院から『回想の太宰治』を上梓。 1997年(平成9年)2月1日、心不全で死去。85歳没。遺骨は、太宰が眠る三鷹市禅林寺に葬られた。 1998年(平成10年)1月、税務署公示で課税遺産額が約9億4千万円と発表される。
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