太宰の死生観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
太宰治の死生観としてはまず、いつでも死ねるという意識を持っていたとの指摘がある。青山光二は太宰から一緒に死なないかと誘われた経験から、いつでも死ねる人であったと評価しており、植田康夫も青山の意見に賛同している。太宰の研究家である相馬正一もまた、「死といつでも隣り合わせに生きた」と評している。 太宰の死生観には創作活動が密接に関わっているとの意見もある。谷沢永一は、太宰の死生観とは作品を構成していく中で自然と組み立てられてきたもので、人の心はかくあるべきと願う理想、自尊心であり、その理想、自尊心が傷つけられた際には自らの命を絶つことも厭うべきではないとの美意識であると見ている。 哲学者の加藤茂は、太宰の死生観の背景には、弱い自我や、生と死とは連続したものであると考える日本的な死生観が影響していると指摘しながら、作品こそ全てであり、創作活動は男子一生の業であると信じていた太宰にとって、書けなくなった時が死ぬときであったと考えている。 鳥居邦朗も、太宰は処世術的な自殺を企てる人物を主人公とする独自の文学を打ち立てることによって、死を超えるような高貴な、美しい行為を賛美する作品を描き続けたと評価している。そして現実の生死など、作品に描いた死を超えるような高貴な、美しい行為と比べればほとんど意味がないと判断していたとしている。 一方、「狂言の神」、「姥捨」の評価に現れているように、太宰の描く「死」の裏側には、生きる意志が見られるのではという説もある。長部日出雄は、太宰の描く死とは「生きたい生きたい」との逆説的かつ必死の叫びであるとしている。
※この「太宰の死生観」の解説は、「太宰治と自殺」の解説の一部です。
「太宰の死生観」を含む「太宰治と自殺」の記事については、「太宰治と自殺」の概要を参照ください。
- 太宰の死生観のページへのリンク