天道信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:32 UTC 版)
対馬の山岳信仰と太陽崇拝、母子神信仰、真言宗が習合して神仏混淆の天道信仰が展開した。根拠地は南の豆酘と北部の佐護湊である。『天道縁起』(元禄3年・1690。豆酘・主藤家蔵)によれば、ある女が太陽に感精して孕んで天道を生んだ。長じて霊験を表わし空中を飛んで朝廷に至り病気を治し、帰国後に山中の龍良山に祀られたと説く。山上に御子神、山麓の水辺に母神を祀る。観音信仰や八幡信仰と結びつく。遥拝所は浅藻に八丁角という塔が積まれた聖地がある。『津島紀事』(文化6年・1809)には、ウツロ船に乗った女御が内院に流れ着き、朝日の光で感精して天道を生んで霊験を表し山に祀られたと説く。豆酘では天道信仰は供僧(くぞう)と呼ばれる人々が、神前読経で神仏混淆で多久頭魂神社(たくつたま。旧観音堂)に奉仕し、旧暦正月10日に天道法師がもたらしたとされる赤米の頭渡し行事を行う。『対州神社誌』(貞享3年・1686)には、島内各地で男女の法者(ほさ)と命婦(みょうぶ)が神仏混淆の祭祀を行う実態が描かれている。元禄15年(1702年)に藤氏が総宮司職に就任して復古神道を取り込み、社名や祭神を古代の神話にあてはめて以来、対馬神道と呼ばれる独自の祭祀が展開した。対馬の神社を式内社に比定する動きが高まり29社の考証が行われた。
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