大窪城の沿革とは? わかりやすく解説

大窪城の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 05:49 UTC 版)

大窪城址公園」の記事における「大窪城の沿革」の解説

大松沢家の先祖飯田八郎左衛門藤原吉実で、西暦1400年以前より伊達氏一族として伊達郡宮沢治めていたので後に宮沢名乗ったが、この吉実の玄孫当るのが宮沢掃部時実伊達氏13代、伊達尚宗 の代及び1504年-1520年永正年中伊達氏14伊達稙宗 の時、大崎葛西勢に備え伊達氏北方押さえとして、この地に派遣され宮沢掃部時実大松沢初代領主になって大窪城を築城したと伝えられ、その禄高800貫文であった以後宮沢掃部時実大松沢左衛門称した2代目祐実で、3代目実家4代目は景実、5五代目宮沢元実は天正年間伊達氏17伊達政宗の時、相馬及び大崎の軍に従いその都度先鋒となり功をたて、1592年文禄元年)には朝鮮の役従軍し功労があり、又永く大松沢住んでいたので伊達政宗から大松沢氏を称ずるよう命ぜられ、改め伊達家一族に列せられた。6代は定実、7代頼実、8代広実。9代信実10代以実、11代文実、12代定実、13代従実、14代良実、15代衛実(大松沢掃部之輔衛実)と続いた15大松沢衛実は、伊達家仙台藩士として伊達氏29伊達慶邦仕え1868年明治元年)の戊辰戦争では 会津の戦に藩士300人を率いて従軍し次いで白河軍事総督を命ぜられ、諸所戦い功労があった。会津の乱が終わった後は、剃髪し菩提寺である眞観寺住職となり、戊辰の役亡くなった人々冥福祈り僧侶として没した

※この「大窪城の沿革」の解説は、「大窪城址公園」の解説の一部です。
「大窪城の沿革」を含む「大窪城址公園」の記事については、「大窪城址公園」の概要を参照ください。

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