大日本プロレス女子部
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「大日本プロレス」の記事における「大日本プロレス女子部」の解説
1997年から2000年前半にかけて、大日本では女子部を併設していた時期がある。元吉本女子プロレスJd'の所属選手であった亜利弥’、藤村奈々、生え抜きの川崎美穂が設立時に所属し、1997年7月19日に横浜文化体育館で開催されたジュニア・オールスター戦(GAEA JAPAN主催)にて本格的に活動を開始した。しかし、3人はいずれも短期間で退団となった。その後、元革真浪士団の市来貴代子、中野知陽呂が所属するとともに藤村も再デビューを果たして同じ横浜を本拠としていたNEO女子プロレスやフリーの矢樹広弓、メキシカンレスラーなどが参戦していた。BJW認定女子王座も設立されたが結局、2003年までに自然消滅している。 女子部が消滅した後も不定期ながら団体外の女子選手が適宜大日本に出場しており、長与千種や尾崎魔弓、木村響子ら大日本のデスマッチに挑戦した女子選手も存在した。但しミックスドマッチは同じインディーのDDT・K-DOJO・WNCに比べ消極的であり、木村のデスマッチ挑戦も男子選手との体力差から難色を示され頓挫している。特に金村事件以降は、女性問題に発展する事態を回避する為、大日本所属選手とのミックスドマッチを他団体参戦時を含め基本的に許可しない方針を固めている(状況により許可する場合もあるが、不許可の原則に変更はない)。 一方でアイスリボン、OZアカデミー、プロレスリングWAVEなどとの合同興行あるいはリングを貸し出しての昼夜興行(特に横浜ラジアントホールや名古屋ダイアモンドホールなどの大会で、昼に女子団体、夜に大日本の形で開催)も開催してアイスリボンとWAVEより随時試合提供も受けており、逆に大日本から試合提供をする事もある。なお、女子部設立前にはGAEA JAPANから試合提供を受けたことがあった。 旗揚げ15周年となる2010年4月に女子部が復活して亜利弥に加えマルセラも再度参戦。 BJW認定女子王座は当時JWP女子プロレスに在籍していた米山香織が奪取してから8年が経過した2011年に防衛戦を決行して直後に返上そして封印された。そのJWPは2010年9月19日に大日本後楽園と同時間帯に開催された新宿FACE大会で米山vsさくらえみのJWP無差別級選手権試合を「敗者髪切りマッチ」として行った事と、2011年の米山引退撤回騒動で大日本との関係を悪化させている。2012年はJWPとの合同興行が開催されたが、開催日を米山の海外遠征に合わせて設定。その後、米山のJWP退団後の2014年の六角橋商店街大会でJWPより試合提供が行われるまでに改善された。また、アイスリボンも金村事件以降、関係が悪化していた時期があったが、こちらは大日本のスポンサー企業であるネオプラスが2009年にアイスリボン事業部を設立したのを機に改善されている。
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