大日本プロレス女子部とは? わかりやすく解説

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大日本プロレス女子部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:31 UTC 版)

大日本プロレス」の記事における「大日本プロレス女子部」の解説

1997年から2000年前半にかけて、大日本では女子部併設していた時期がある。元吉本女プロレスJd'の所属選手であった亜利弥’藤村奈々生え抜き川崎美穂設立時所属し1997年7月19日横浜文化体育館開催されジュニア・オールスター戦GAEA JAPAN主催)にて本格的に活動開始した。しかし、3人はいずれ短期間退団となったその後、元革真浪士団の市来貴代子中野知陽呂が所属するとともに藤村再デビュー果たして同じ横浜本拠としていたNEO女子プロレスフリー矢樹広弓、メキシカンレスラーなどが参戦していた。BJW認定女子王座設立されたが結局2003年までに自然消滅している。 女子部消滅した後も不定期ながら団体外の女子選手適宜大日本出場しており、長与千種尾崎魔弓木村響子大日本デスマッチ挑戦した女子選手存在した。但しミックスドマッチは同じインディーDDTK-DOJOWNC比べ消極的であり、木村デスマッチ挑戦男子選手との体力差から難色示され頓挫している。特に金事件以降は、女性問題発展する事態回避する為、大日本所属選手とのミックスドマッチを他団体参戦時を含め基本的に許可しない方針固めている(状況により許可する場合もあるが、不許可原則変更はない)。 一方でアイスリボンOZアカデミープロレスリングWAVEなどとの合同興行あるいはリング貸し出して昼夜興行(特に横浜ラジアントホール名古屋ダイアモンドホールなどの大会で、昼に女子団体夜に大日本の形で開催)も開催してアイスリボンWAVEより随時試合提供も受けており、逆に大日本から試合提供をする事もある。なお、女子部設立前にはGAEA JAPANから試合提供を受けたことがあった。 旗揚げ15周年となる2010年4月女子部復活して亜利弥に加えマルセラ再度参戦BJW認定女子王座当時JWP女子プロレス在籍していた米山香織奪取してから8年経過した2011年防衛戦決行し直後返上そして封印された。そのJWP2010年9月19日大日本後楽園同時間帯に開催され新宿FACE大会で米山vsさくらえみJWP無差別級選手権試合を「敗者髪切りマッチ」として行った事と2011年米山引退撤回騒動大日本との関係を悪化させている。2012年JWPとの合同興行開催されたが、開催日米山海外遠征合わせて設定その後米山JWP退団後の2014年六角橋商店街大会でJWPより試合提供が行われるまでに改善された。また、アイスリボンも金事件以降、関係が悪化していた時期があったが、こちらは大日本スポンサー企業であるネオプラス2009年アイスリボン事業部設立したのを機に改善されている。

※この「大日本プロレス女子部」の解説は、「大日本プロレス」の解説の一部です。
「大日本プロレス女子部」を含む「大日本プロレス」の記事については、「大日本プロレス」の概要を参照ください。

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