大ヒット曲『Le Métèque』(異国の人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 15:20 UTC 版)
「ジョルジュ・ムスタキ」の記事における「大ヒット曲『Le Métèque』(異国の人)」の解説
歌手としてのキャリアは長いが、本格的な歌手デビューは、1968年に当初ピア・コロンボのために作り、69年に自身も吹き込み大ヒットした『Le Métèque』(邦題「異国の人」- 直訳すると差別的な意味としての「よそ者」もしくは「ガイジン」)といっていいだろう。前年68年のパリ五月革命の余熱の中で、フランス社会でタブーともいえた「Juif -ユダヤ人」という単語をロマンチックに謳い上げ、自由を求める時代の気風によって、ムスタキは初めて歌手として広く認知されたといえる。 ムスタキ自身は、この『Le Métèque』のヒットについて、自著『Les Filles La Mémoire』(『ムスタキ自伝 思い出の娘たち』 山口照子 訳 彩流社)で「ある者はそこに世の中からはみ出した者のロマン主義や絶対自由主義を、また他の者はそこに政治的、イデオロギー的、戦闘的、1968年的な合言葉を見てとった。移民たちはアメリカの黒人が言うところの"Black Is Beautiful"に匹敵する、自分たちが他者とは異なっていることへの誇りをそこから汲み取った。それは祖国をなくした人々の賛歌、無国籍者の集合の叫び、無銭旅行者たちの要求だった。(略)僕にとって、それはただの恋の告白の歌だった」と語っている。
※この「大ヒット曲『Le Métèque』(異国の人)」の解説は、「ジョルジュ・ムスタキ」の解説の一部です。
「大ヒット曲『Le Métèque』(異国の人)」を含む「ジョルジュ・ムスタキ」の記事については、「ジョルジュ・ムスタキ」の概要を参照ください。
- 大ヒット曲『Le Métèque』のページへのリンク