多団体放送時代
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海外の過去の試合映像(白黒)に日本語の実況・解説を付け加えたプロレス番組として1968年11月30日放送開始。解説は田鶴浜弘が担当した。初回放送はルー・テーズVSアントニオ・ロッカのNWA世界ヘビー級王座戦とザ・デストロイヤーの素顔時代の試合が放送された。未来日だったバディ・ロジャースやホイッパー・ビリー・ワトソン、当時すでに故人となっていたゴージャス・ジョージなどの試合も放送され、視聴率では最高で15%を記録するなど人気番組となった。 1969年からは土曜17:00枠においても初回からの再放送を開始。1970年8月には「WWWF決戦シリーズ」として、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたWWWFの定期戦(ブルーノ・サンマルチノ、イワン・コロフ、ペドロ・モラレス、ザ・モンゴルズなどが出場)を、フィルムを取り寄せた上でカラー放送した。WWWF定期戦の放送の仲介役はグレート東郷が務めた。 日本女子プロレス中継であった『女子プロレス中継 世界選手権シリーズ』終了後の1970年以降は女子の試合も扱うようになった。プロレスアワーとしては1971年6月に一時休止となり、その後は『びっくりスポーツ』枠での単発放送を経て、1972年4月に再開し半年間放送された。
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