外務省退職まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 09:05 UTC 版)
山口県下関市生まれ。洛星高等学校から京都大学法学部入学。大学の2年先輩で外交官試験に合格していた竹内行夫の奈良の自宅を訪ね、外交官試験について調べ、大学在学中の1969年、外交官試験に合格。大学を中退し、上級職として外務省に入省。同期に谷内正太郎、田中均、高須幸雄、藤崎一郎、重家俊範など。 英語研修(米国オベリン大学)、在ナイジェリア大使館、経済局、外務省大臣官房、ジュネーブ国際機関代表部、在サウジアラビア大使館勤務。1985年10月から1988年7月まで外務省中近東アフリカ局アフリカ第2課長。この期間、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)問題に関する『マンデラの南ア 日本の対応』を出版。 1988年内閣官房内閣安全保障室内閣審議官、1990年駐マレーシア公使、1993年駐オーストラリア公使、1996年駐カナダ公使、1997年駐デトロイト総領事、2000年大臣官房付、2001年より駐レバノン日本国特命全権大使。2003年に外務省を依願退職。
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