夕顔瀬町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 12:54 UTC 版)
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       夕顔瀬町
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|---|---|
| 北緯39度42分31秒 東経141度7分56秒 / 北緯39.70861度 東経141.13222度 | |
| 国 |  日本 | 
| 都道府県 |  岩手県 | 
| 市町村 |  盛岡市 | 
| 面積 | |
| • 合計 | 0.157125747 km2 | 
| 人口 | |
| • 合計 | 1,165人 | 
| • 密度 | 7,400人/km2 | 
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) | 
| 郵便番号 | 
       020-0032[2]
       | 
| 市外局番 | 019 (盛岡MA)[3] | 
| ナンバープレート | 盛岡 | 
夕顔瀬町(ゆうがおせちょう)は、岩手県盛岡市の地名。丁番は持たない単独町名である。住居表示実施済み区域[4]。郵便番号は020-0032[2]。
地理
岩手県盛岡市南西部に位置する。
域内は住宅地や商店が混在しており、東部には北上川が流れる。
歴史
「夕顔瀬」の町名は、盛岡砂子によると、前九年の役の際に、安倍貞任がこの地で夕顔に甲冑を着せ、源頼義軍をおびき寄せて不意をついたことに由来するという。
かつて、当地は、北上川渡河地であった。盛岡藩事務日記によると、1656年(明暦2年)9月3日に、夕顔瀬橋の渡り初めが行われたという記載がある。しかし、この橋は安定せず、洪水の度に落失していたという。その後、1765年(明和2年)9月には、御側役頭大向伊織の考案により、中島を築いて両岸から土橋を架し、以後多くの落失を免れたという。これ以後橋の西側を通る鹿角街道に沿って商店や人家が建ち並び、街道沿いの夕顔瀬橋から北3町程に、片原町と称する商人町が形成された。
1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により南岩手郡厨川村が発足し、その一部となった。1913年(大正2年)6月10日、編入合併により盛岡市の一部となり、1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、盛岡市木伏、三十軒、片原、下田、畑中の各一部から、夕顔瀬町が成立、現在に至る。
世帯数と人口
2023年(令和5年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字・丁目 | 世帯数 | 人口 | 
|---|---|---|
| 夕顔瀬町 | 642世帯 | 1165人 | 
交通
鉄道
域内に鉄道駅は存在しない(盛岡駅が最寄り駅となる)。
道路
河川
施設
- 夕顔瀬町幼児公園
参考文献
書籍
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4-04-001030-2。
- 平凡社『日本歴史地名大系 03 岩手県の地名』角川書店、1990年7月13日。 ISBN 4-58-249003-4。
- 土木学会 編『道路の改良 第22巻 第12号』土木学会、1940年。
脚注
- 夕顔瀬町のページへのリンク

 
                             
                    











