変動利付ユーロ債
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/18 08:23 UTC 版)
1970年代から80年代初頭にかけてはユーロ・シンジケート・ローンが隆盛した。ユーロ市場の統合がすすみ、短期資金(オイルマネーやコールマネー等)が(LIBORなどによって)ロールオーバーされ、そのまま中・長期貸付に「転態」されていたのである。この変動利付債(FRN)(英語版)こそが、セカンダリー・バンキングの主力商品だった。1974年、フランクリン・ナショナル(英語版))の為替差損が表面化したり、ヘルシュタット銀行(英語版))が破産したりして、コールマネーをあてにできなくなった。そこで1月から自主規制(Voluntary Foreign Credit Restraint)を撤廃していた米銀が資金を供給した。 FRN は、1975年BNPが6年物5000万ドルを発行したのを皮切りに、フランスの銀行やイギリスの手形交換所加盟銀行も発行するようになった。南米で債務危機がおこると、FRN保有に占める銀行の割合が八割を超えたと推計されている。1982-3年第一四半期までは、信用力の高い欧州形の銀行が固定金利債を発行してそれを変動金利支払にスワップし、反対側ではBaa格程度の米企業が変動金利債を発行してそれを固定金利支払にスワップするという簿外取引が目立って行われた。この取引は固定金利相場と変動金利市場における信用評価のばらつきを利用して、互いに調達コストを下げる手段であった。しかし銀行による発行があまりに多額にのぼったため、固定金利債の市場では銀行発行物が飽和して、信用力の低い企業の固定金利債に対するプレミアムが縮小した。スワップはALM目的で利用されるようになった。それができるようになったのは、銀行や投資銀行がマーケットメイクをするようになったからであった(シティコープだけで全スワップの1/4弱)。 シンジケート・ローンの常連参加者は、ランベール銀行、バンク・プリヴェー(La Banque Privée)、ロチルド銀行(現バークレイズ)、N・M・ロスチャイルド&サンズ、ピアソン((英語版)Heldring & Pierson)の、いわゆる「五本の矢(Five Arrows Group)」であった。この当時、バーナード・コーンフェルドが設立した、Investors Overseas Service(IOS)(英語版)(※ファンド・オブ・ファンズの一つ)はユーロ債の主要な購入者であった。 1980年代、機関投資家は一気に多様化して、豊富な裁定機会をユーロ債市場へ提供した。シンジケート・ローンは証券化されるたびにバリエーションが広がった。固定債だけでも種類は多く、ストレート・ボンド、ワラント債、二重通貨建債(利払通貨と元本償還通貨が異なる)、特定指数連動型(index bond)などがある。
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