売春防止法施行から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 15:10 UTC 版)
「中村遊廓」の記事における「売春防止法施行から現在まで」の解説
1958年(昭和33年)の売春防止法の施行は4月1日からだったが、名楽園では、業界のモデルケースとなるべく、1月からの自主転廃業に踏み切った。旅館に転業が約40軒、トルコ風呂に転業したのが約10軒、飲食店に転業したのが約20軒あった。中でも転業費用が安かった旅館は、転業当初から1ヶ月に10~15人の客しか付かず、わずか3ヵ月後の昭和33年4月にもなると、旅館許可を返上したり、許可はそのままでも店を閉ざすものも現れ、早くも再転業の声が出る始末となった。名楽園組合は解散し、代わって61軒のみで新名楽園組合が組織されたが、かつてのような同一営業体での組織ではなかった。1973年(昭和48年)1月1日当時では、トルコ風呂18軒、サウナ1軒、バー48軒を数えた。 旅館は供給過剰状態が続いたが、旅館・ホテル需要が逼迫した1970年(昭和45年)の日本万国博覧会期間中は貴重な存在となった。その後老朽化等で徐々に軒数を減らし、2009年には全滅となってしまった。 ソープランドについては、2009年(平成21年)現在でも名古屋市内唯一の集中地区となっており、10軒を数える。しかし東海地方のソープランド街として常に比較対象とされる岐阜市金津園と比べると劣勢は隠しようがない。売春防止法施行以降、来るべきトルコ風呂時代に向けて専業化・近代化に努め、現在でも数十軒の規模で生き残っている金津園とは明暗を分けた結果となってしまった。旧中村遊廓内のソープランドは、他地域のそれと同様、徐々に数を減らしている。 かつての中村遊廓のシンボルともいえた遊廓時代からの建物は徐々に減少して来た。建物が解体された跡地には、マンション・病院・スーパーマーケットなどが建ち、旧遊廓は名古屋の住宅街の中に埋没しつつある。そこで地元では、街の賑わいを取り戻そうと1991年(平成3年)から「新大門商店街」を立ち上げ、街ぐるみで活性化が続けられている。
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