売春防止法以降: 要町・千鳥街から現二丁目へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:02 UTC 版)
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1958年(昭和33年)売春防止法の完全施行で赤線が廃止されるが、空き家となった現在の二丁目の地所を買い取り、積極的に進出を行ったのが前述の蘭屋を経営する前田である。前田は不動通り近辺を中心に不動産を買い、そこに進出を図る。このとき沖縄出身の前田が一族を呼び寄せ、沖縄・奄美料理を中心とした飲食業を展開したことが二丁目に多く存在する沖縄・奄美料理店の所以であるといわれる。以後、不動通りの北側エリア(靖国通り側)にもゲイバー出店が相次ぐ。少し後れ、千鳥街も区画整理で立退きを迫られ、現在の仲通りに面した雑居ビル「新千鳥街」に1960年代後半頃に移転する。このように現在のエリアの新宿二丁目ゲイ・タウンが産声を上げたのは、1960年代半ば以降であるとされる。
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