士官学校・予科士官学校
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「陸軍士官学校 (日本)」の記事における「士官学校・予科士官学校」の解説
1937年に、陸軍士官学校本科は陸軍士官学校と改称され、陸軍士官学校予科は陸軍予科士官学校となる。同年8月、陸軍士官学校は座間に移転し、卒業式に行幸した昭和天皇から相武台の名が与えられた。さらに同年10月1日、航空兵科将校となすべき生徒及び学生の教育を行うために、陸軍士官学校分校が設置された。翌1938年12月に同分校は陸軍航空士官学校として独立し、1941年に修武台の名が与えられる。航士では専門教育のため早期に入校をさせ、原則として隊付勤務をしなかった。1941年には予士が朝霞に移転し、振武台の名が与えられた。 1938年に陸士本科の修業期間が1年8ヶ月に短縮され、更に1941年に1年間に短縮される。 1945年(昭和20年)6月に第58期生が卒業し少尉に任官、これは陸士最後の少尉任官期となる。陸軍士官学校が閉校されるのに際して、在校中の第59期生には特別に卒業資格を与えられた。第60期生は、8月28日閣議決定により筆記試験無しで文部省所管の学校に転入させる措置が取られたが、当時の一高はその指示に逆らって転入試験を実施した。陸士全体では、予士在校中に終戦を迎えた第61期生が最後である。
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