境線存続問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:36 UTC 版)
1997年(平成9年)10月7日付日本海新聞1面「鳥取発特報」に、佐伯健二記者の署名付きで「境線を廃止したらどうか」という主旨の記事が掲載された。記事の内容は、米子空港拡張による境線の一部地下化または線路移動工事に際して、「歴史的役割は終えている。『長い間ごくろうさま。ありがとう』とJRにお礼を言って廃止してもらっても、影響は小さいのではないか」として廃止を提案するものだった。記事に対し、翌10月8日に西日本旅客鉄道労働組合(JR連合系、以下西労組)は電話で記事の撤回を要請、これに日本海新聞社が応じなかったため、同月末より西労組は同紙の不買運動を展開した。 記事では廃止論の根拠として境線利用者数の減少を挙げており、その数字として境港駅の乗車人数が国鉄分割民営化時より27%と少ない(419人/日)とし、また1981年の境線の営業係数が698であることを挙げ「厳しい状況は変わってはいないのでは」と指摘した。一方、西労組側は境線全駅での乗降客数は1日平均8000人で民営化時より増加しているとし、営業係数も300台に回復していると指摘した。これに対し、日本海新聞は署名入りの記者のコラムであり、社の意見ではないとの見解を示している。また、記事を書いた佐伯記者は「10億円単位の赤字路線」であることには変わりないとしている。 この不買運動に対して、日本海新聞は「自由な言論を封殺することにほかならない」と反論した。なお、西労組はその後同年12月に「境線存続へ一定の成果があった」として、組織的な不買運動を終結させている。
※この「境線存続問題」の解説は、「日本海新聞」の解説の一部です。
「境線存続問題」を含む「日本海新聞」の記事については、「日本海新聞」の概要を参照ください。
- 境線存続問題のページへのリンク