境相論の解消と近世的秩序のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/11/15 00:07 UTC 版)
「境相論」の記事における「境相論の解消と近世的秩序のはじまり」の解説
織田信長の政策を引き継いだ豊臣政権は、天正13年(1585年)には九州地方、天正15年(1587年)には東国・奥羽に向けて惣無事令を発し、領主間の私闘を禁じ、これによって境相論の解決機能を大名間・村落間を問わずみずからの政権に集中させようとした。刀狩令によって村々から武器の接収を図った背景には、封建秩序の確立や一揆の防止とともに、境相論における実力行使による「自力救済」が政権の政治的権威に対する脅威と看做したという背景もあった。平定された諸地域において国分をおこない、太閤検地によって耕作者を確定させたことは「自力救済」の否定であり、集権的な政府による地方支配をめざしたものだったのである。
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