堆積盆地形成のテクトニクス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 05:53 UTC 版)
「豊浦層群」の記事における「堆積盆地形成のテクトニクス」の解説
豊浦層群の堆積盆地は豊浦盆地と称し、その東縁に沿って分布する長門構造帯と平行に伸長する当時の前弧域に形成された構造盆地とされている。この構造盆地は、長門構造帯の境界断層に沿った傾斜すべり運動によって形成された南東に傾斜する傾動盆地と考えられており、また、長門構造帯の変形スタイルや豊浦層群の堆積作用の特徴から横ずれ型の構造盆地に相当する可能性が示唆されている。なお、豊浦盆地に侵入した海は、陸地に挟まれた内海であり、豊浦海の名が付けられている。 長門構造帯(蓮華帯)は、秋吉帯、周防帯、美濃-丹波帯などの付加体と全体的にほぼ平行に帯状に分布する地質体で、当時の海溝とほぼ平行な構造的背景にある。長門構造帯より東側の地域では、後期ぺルム紀付加体の秋吉帯を基盤として中期三畳紀後半 - 後期三畳紀前半の期間に堆積した厚保層群や美祢層群からなる陸棚型堆積岩が分布しており、また、その東方に低温高圧型の周防帯(230-160 Ma)が分布し、山口県内の周防帯の変成岩から約2億2700万年前から2億600万年前の冷却年代(変成帯の上昇年代に相当)を示すとされる放射年代値が報告されている。 美祢層群と豊浦層群との間の層序の欠如と豊浦層群の堆積盆地の形成は、周防変成帯の上昇を伴った前弧域の隆起運動に起因し、この地殻変動により長門構造帯のNE-SW性鉛直断層系の形成が起こり豊浦層群の構造盆地が出来上がったとされている。なお、1951年の小林貞一による報告では、豊浦層群が豊ヶ岳の三郡変成岩類(現在の蓮華変成岩)を覆っていることから、レーティアン期(=三畳紀末)の三郡帯における豊ヶ岳地殻変動(または豊ヶ岳造陸運動)により、美祢層群が上昇を開始しジュラ紀前半の継続的な地盤の露出によりノーリアン階の大部分が浸食され、また、豊ヶ岳造陸運動の結果、北西側の三郡変成岩類の地帯が相対的に沈降し、レーティアン期末ないしライアス世(=前期ジュラ紀)初めの海面上昇期に海水が内侵したとされている。1975年の高橋・三上による報告においても小林による報告とほぼ同じ見解であり、長門構造帯構成岩類の広域にわたる隆起運動により長門構造帯方向の断層が形成されたことを付け加え、これらの一連の地殻変動を豊ヶ岳変動と称している。
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