美祢層群とは? わかりやすく解説

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美祢層群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 16:51 UTC 版)

美祢層群(みねそうぐん、Mine Group)は、日本三畳紀の非付加体型の海成 - 非海成層である。1926年に、小林貞一により美祢地区を模式地域として、当時、美祢統を意味するMine Formationとして最初に命名され[1]、1931年に小林により、その大部分を含む概略的な地質図が示された[2]。1950年に、長谷晃により現在の名称となる[3]


  1. ^ Kobayashi 1926, p. 1の下から2行目-p. 2の1行目.
  2. ^ 小林 1931, p. 572の長門國西部中生代諸層地發達地域地質圖のMine Series.
  3. ^ 長谷 1950, p. 112-113.
  4. ^ 小林 1951, p. 118-119の第26圖の美禰地域、厚保地域、厚狭地域.
  5. ^ 君波 2009, p. 85, 86の図2.7.1.
  6. ^ Kobayashi 1926.
  7. ^ 高橋 1987, p. 41の大嶺区の項目の8行目.
  8. ^ 西村ほか 2012, p. 51.
  9. ^ a b 西村ほか 2012, p. 41の2段目の下から1-6行目.
  10. ^ a b 片山 1939, p. 138の9-15行目で「整合的に重なってゐるかの如く見える」、「未だ整合とは斷言出來ない」と記される.
  11. ^ 小林 1940, p. 243の「厚保區域地質圖」で滝口層を厚保統とし、p. 246の8-9行目に「厚保層の上部は瀧口層に對比される」とあり両層群の整合関係が見てとれる.
  12. ^ a b 長谷 1950, p. 112の厚保區三疊系の層序の「平原層」の項目の1-2行目「厚保層群との関係は整合的」とあり、断層関係にはない.
  13. ^ 河合 1963, p. 711の2段目の美禰亜層群の項目の1行目「本亜層群は厚保亜層群の上に整合に重なる」.
  14. ^ a b 高橋・三上 1975, p. 94の山口県三畳系対比表で整合関係が図示される, p. 95の地質図で断層関係にはない.
  15. ^ a b 亀高 1999, p. 653のFig. 2, p. 654の1段目の平原層の項目の8行目「四郎ケ原では中部三畳系厚保層群を整合に覆う」.
  16. ^ a b 高橋ほか 1965, p. 56の美禰層群の項目の1行目;後に高橋・三上(1975)において整合関係とされている.
  17. ^ 君波 2009, p. 86の2段目の厚保地区の美祢層群の項目の2-4行目.
  18. ^ 中江ほか 1998, p. 50の長府花崗岩の項目の2行目「下関市長府から北東方向に広がり、その延長部は美祢市小杉に達する」とある.
  19. ^ 高橋ほか 1965, p. 53の「大嶺南部および厚保地域地質図」の「小杉」以南に貫入.
  20. ^ 国指定文化財等データベース/史跡名勝天然記念物”. 文化庁. 2021年3月21日閲覧。
  21. ^ 高橋・木村 1965, p. 23の第1図 長門構造帯台・田代地域地質図.
  22. ^ 君波 2009, p. 86-87.
  23. ^ 片山 1939, p. 139, 第7圖版の山口縣美禰豐浦地方地質圖.
  24. ^ 長谷 1950, p. 104の下から10行目-p. 110の2行目, p. 124の第1圖 山口縣西南部三疊系對比表.
  25. ^ 君波 2009, p. 86の2段目の19行目-p. 87, 図2.7.1の山口県西部の厚保層群と美祢層群の地質図.
  26. ^ 君波 2009, p. 86の図2.7.1の山口県西部の厚保層群と美祢層群の地質図.
  27. ^ 高橋 1987, p. 42の1段目の厚狭区の項目の6-9行目.
  28. ^ 西村ほか 2012, p. 50の2段目の下から3-10行目.
  29. ^ 高橋・三上 1975, p. 93, 96-98.
  30. ^ 西村ほか 2012, p. 53.
  31. ^ 高橋 1987, p. 41-42.
  32. ^ 上野ほか 2003, p. 2の1-4行目.
  33. ^ Karasawa et al. 2003, p. 357のSystematicsの項の2行目「Eryonoidea」(センジュエビ上科→現在は上科ではなく下目).
  34. ^ 美祢市化石館編 1997, p. 12-13, 18, 28-31の標本写真およびキャプションの昆虫、アンモナイト、硬骨魚類、サメ類.
  35. ^ 山口県美祢市産の国内初産出のディキノドン類化石について”. 美祢市. 2021年3月21日閲覧。
  36. ^ 高橋・三上 1975, p. 97の5-7行目.
  37. ^ 亀高 1999, p. 656:「礫岩の記載」の項目中.
  38. ^ 内藤 2000, p. 7-131の記載および挿図, 美祢層群産植物化石一覧表.
  39. ^ 田中 1996, p. 1285.
  40. ^ 木村ほか編 1973, p. 568-569の「美祢層群(統)」の項目に英語表記がある.
  41. ^ 大久保 1996b, p. 1285.
  42. ^ 大久保 1996a, p. 858.
  43. ^ 木村ほか 1993, p. 87の三郡-山口帯の項の4行目.
  44. ^ 木村ほか 1993, p. 51の表2.7, p.82の表2.5とp.88の6-8行目:鴨庄層から中期ノリアン期の示準化石Monotis scutiformisを産する.
  45. ^ 西村ほか 2012, p. 51の表3.7.
  46. ^ 小林 1940, p. 245の左から5行目南部の「美禰統の最下部即ち瀧口層」, p. 243のKurataとTanedaの調査による地質図凡例「Takiguchi basal beds Cg」.
  47. ^ 河合 1963, p. 711の1段目の滝口夾炭層の項の3-5行目.
  48. ^ 高橋ほか 1965, p. 56の美祢層群の項の2-5行目「平原層のⅠ部層」.
  49. ^ 坂本 1969, p. 27のいわゆる“滝口層”についての項の12-13行目.
  50. ^ 片山 1939, p. 129の美禰統の項の1-6行目.
  51. ^ 石橋ほか 1990, p. 772の第2図.
  52. ^ 検索結果”. 日本郵政グループ. 2021年3月21日閲覧。
  53. ^ Yokoyama 1891, p. 239の2行目など.
  54. ^ 河合 1963, p. 703の1段目の20-23行目, p. 711の2段目の22行目.
  55. ^ 徳山 1958, p. 462-463間の第11図版.
  56. ^ 小林 1931, p. 572の長門國西部中生代諸層地發達地域地質圖のAtsu Series(厚保統)とMine Series(美祢統).
  57. ^ 小林 1940, p. 245の左から1行目-p. 246の1-2行目.
  58. ^ 小林 1940, p. 246の8-9行目.
  59. ^ 小林 1951, p. 118の第26圖の「3 厚保地域の美禰統」の分布で小林(1940)の厚保區域地質図の厚保統の分布域が描かれる, p. 117の下から6-7行目「厚保南部および厚狭地域の美禰統はともに東北東-西南西方向の走向を有する」.
  60. ^ Tokuyama 1962, p. 地質図.
  61. ^ 高橋ほか 1965, p. 59の大嶺南部および厚保地域地質図.
  62. ^ 君波 2009, p. 85の2段目の2-3行目, p. 86の図2.7.1.
  63. ^ 徳山 1958a, p. 456-457の美禰統層序表の「岩相」.
  64. ^ 田中 1996, p. 1285の津布田層を除く堆積環境を参照.
  65. ^ 内藤 2000, p. 2の層序表の津布田層の「汽水性堆積物」・「淡水性堆積物」ほか.
  66. ^ 君波 2009, p. 87の2段目の桃木層の項目の15-17行目「チャネルと氾濫原とからなる蛇行河川の堆積物」.
  67. ^ 木村ほか編 1973, p. 3の「秋吉造山運動」の項目に原典にはない秋吉造山運動の記述があり「この運動の後造山期のたい積物としては美祢層群など」とあり、これを補足.
  68. ^ 徳山 1958b, p. 545の上昇性堆積物と沈降性堆積物の項目, p. 547の美禰統の砂頁互層の項目の3-8行目.
  69. ^ 磯崎・丸山 1991, p. 699の2段目の 下から6行目-p. 701の1段目の1-16行目の1957-1975年「現地性の昇降運動を強調した地向斜造山論が展開された」.
  70. ^ 菊地 1996, p. 202.
  71. ^ 徳山 1958a, p. 456-457の美禰統層序表の「地殻運動の型式」.
  72. ^ 磯崎ほか 2011, p. 79の9行目, Fig. 5の説明文の9-13行目, 図中の「Cathaysia」(カタイシア).
  73. ^ Tsutsumi et al. 2011, p. 13の1段目の4-15行目.
  74. ^ Isozaki et al. 2017, p. 572の2段目の14-16行目, p. 573のFig. 5.
  75. ^ 西村 2009, p. 1の1段目の14-23行目:「揚子地塊(中国南部の大陸塊)の縁」:揚子地塊(揚子ブロック)は現在、南中国地塊の北部を構成する地塊を指すが、この場合は南部のカタイシアブロックを含めた広義の揚子地塊に相当(磯崎ほか (2011)のp.78-79).
  76. ^ 田沢ほか 2009, p. 169の1段目の2-15行目, p. 173の2段目の16-19行目およびFig. 4.
  77. ^ 木村ほか 2019, p. 162の2段目の下から3-6行目.
  78. ^ Tsutsumi et al. 2011, p. 12の2段目の「Provenance of the clastics」の項目の1-36行目.
  79. ^ Isozaki 2019, p. 12の1段目の3-7行目, p. 11のFig. 7b-c.
  80. ^ Isozaki 2019, p. 13の1段目の22-27行目.
  81. ^ Oh 2006, p. 56の1段目の下から1行目-2段目の1-7行目, p. 57のFig. 8.
  82. ^ Isozaki 2019, p. 13の1段目の1-21行目.
  83. ^ 長谷 1950, p. 116の桃木層の項目の1-4行目, p. 124の第1圖の大嶺区.
  84. ^ 西村ほか 2012, p. 51の表3.7の層序図に不整合ではなく整合として示される, p. 52の1段目の10-11行目「平原層を軽微な平行不整合でおおい」.
  85. ^ 河村 2016, p. 18の15-27行目:原典にある華南地塊は南中国地塊(広義の揚子地塊)と同義.
  86. ^ 河村 2017, p. 20の23-37行目.
  87. ^ 河村 2016, p. 10のFig. 11.
  88. ^ a b Nishimura 1998, p. 137のFig. 9.
  89. ^ 河村 2016, p. 12のFig. 12a.
  90. ^ 木村ほか 1993, p. 84の図2.5, p. 103の表2.8.
  91. ^ 菅森・石渡 2015, p. 398の1段目の3-13行目, Fig. 8.
  92. ^ 河村 2016, p. 17の10-14行目.
  93. ^ 木村ほか編 1973, p. 3の「秋吉造山運動」の項目に「秋吉フェーズと同じ頃にインドシナ地域を中心としておこった地殻変動はインドシナ変動とよばれる」とある.
  94. ^ 河村 2016, p. 17の1-5, 14-17行目, p. 18の15-20行目.
  95. ^ Nishimura 1998, p. 135の1段目の9-12行目.
  96. ^ 西村ほか 2012, p. 41の2段目の「放射年代」の項目.
  97. ^ 亀高 1999, p. 656の1段目の11-13行目, p. 657のFig. 5, p. 663の美祢層群の後背地の1-4行目.
  98. ^ 亀高 1999, p. 662の1段目の5-20行目.
  99. ^ 亀高 1999, p. 662の2段目の4行目-p. 663の1段目の12行目.
  100. ^ 亀高 1999, p. 663の2段目の12-15行目.
  101. ^ 亀高 1999, p. 663の2段目の12行目-p. 664の1段目の6行目.
  102. ^ 亀高 1999, p. 664の18-19行目.
  103. ^ 亀高 1999, p. 660の2段目の「砕屑性ザクロ石の起源」の項目の14-15行目.
  104. ^ 亀高 1999, p. 661の1段目の12-14行目.
  105. ^ 大和田ほか 2000, p. 237の2段目の下から3行目-p. 238の1段目の17行目の肥後変成岩・肥後ユニットへの対比の説明.
  106. ^ 寺岡 2003, p. 176の第7図の美祢層群の堆積物中のザクロ石の組成.
  107. ^ 大和田ほか 2000, p. 236のTable 3の脊振山地の黒雲母片麻岩のザクロ石の組成.
  108. ^ 唐木田・山本 1982, p. 177の第2表.
  109. ^ 河村 2016, p. 19の9-15行目.
  110. ^ 河村 2016, p. 17の6-8行目.
  111. ^ 磯崎・丸山 1991, p. 727のFig. 18 (5) , p.728の26-41行目:これは三波川帯の例であるが、三郡帯なども同様で「日本列島の造山帯は約1億年間隔で合計三ないし四回の藍閃変成帯の地下深部からの絞り出しによって発達した」とある.
  112. ^ 河村 2016, p. 17の7-10行目, p. 18の25-27行目.
  113. ^ 高橋・三上 1975, p. 109の1段目の5行目.
  114. ^ 小林 1951, p. 108の下から2行目-p. 109の2行目.
  115. ^ 長谷 1950, p. 104の下から8-9行目に平松層は「約70米の厚い基底礫岩を以て不整合に乗る」とある.
  116. ^ 長谷 1950, p. 104の8-18行目.
  117. ^ 小林 1951, p. 176の18行目に「縄地ヶ鼻の基底礫岩は大田統の珪岩を蔽うている」とあるが覆うのは硯石統としている.
  118. ^ 西村ほか 2012, p. 36の2段目の3.3.1. 周防帯:周防変成岩の項の2行目.
  119. ^ 松浦ほか 2007, p. 地質図のMk(鴨庄層)とSm(周防変成岩類の泥質片岩), 美祢層群の項目の6-8行目.
  120. ^ Takami 1997, p. 112の1段目の5行目-2段目の16行目, p. 113の2段目の下から1-15行目, Fig. 9, 10.
  121. ^ Yokoyama 1891, p. 239の1-16行目.
  122. ^ Yokoyama 1905, p. 2.
  123. ^ 木村ほか 1993, p. 91の表2.7.
  124. ^ Yokoyama 1905, p. 1の1-14行目.
  125. ^ 内藤 2000, p. 53-87.
  126. ^ 鈴木 1907, p. 43の1-2行目.
  127. ^ 鈴木 1907, p. 46の9-10行目.
  128. ^ 鈴木 1907, p. 43の4行目-p. 44の14行目.
  129. ^ 小倉 1922, p. 8の左から1行目-p. 9の1行目, p. 10の9-13行目.
  130. ^ 小倉 1922, p. 9の10-11行目.
  131. ^ 内藤 2000, p. 10-86.
  132. ^ 木村ほか 1993, p. 84の図2. 5 日本の三畳紀堆積物の分布.
  133. ^ 山口県 Mine秋吉台ジオパーク”. 日本ジオパークネットワーク. 2021年3月21日閲覧。
  134. ^ Mine秋吉台ジオパークとは?”. Mine秋吉台ジオパーク推進協議会. 2021年3月21日閲覧。
  135. ^ 美祢炭鉱荒川水平坑坑口及び煉瓦巻坑道”. 美祢市. 2021年3月21日閲覧。
  136. ^ 山口県の「県の石」”. 日本地質学会. 2021年3月21日閲覧。





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