ほった‐やいち【堀田弥一】
堀田弥一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 02:23 UTC 版)
堀田 弥一(ほった やいち、1909年1月30日 - 2011年2月23日)は、日本の登山家。1936年に立教大学山岳部遠征隊を率いて、ヒマラヤ山脈のナンダ・コート(標高6867メートル)の登頂に成功した[1]。
注釈
出典
- ^ ブリタニカ国際大百科事典. “堀田弥一”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年3月20日閲覧。
- ^ a b c 冬の企画展「~黒部から世界の頂へ~ 堀田弥一」展 - - 黒部市(2015年2月18日、黒部市歴史民俗資料館の展示内容紹介)2023年3月20日閲覧。
- ^ a b c 冬の企画展「~黒部から世界の頂へ~ 堀田弥一」展示品紹介 No.1 - 黒部市(2015年3月2日、黒部市歴史民俗資料館の展示内容紹介)2023年3月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “山に生きて94年・立山からヒマラヤへ”. 2023年3月20日閲覧。 - 日本山岳会会報『山』2003年12月号(「連続講演会「語り継ぐ黎明期の登山……それぞれの山」第1回)
- ^ 「1936 初登頂の軌跡/1 ヒマラヤの扉開く 立大隊の精鋭6人」『毎日新聞』、2017年2月20日。2020年2月16日閲覧。オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d 「36年立大隊のテント、同行記者の生家に」『琉球新報』、2017年1月7日。2017年5月7日閲覧。オリジナルの2017年1月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「堀田弥一氏(登山家)が死去」『日本経済新聞』、2011年3月5日。2017年5月7日閲覧。
- ^ 山岳集古未来館 - 立山博物館
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