坂内ミノブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:05 UTC 版)
「千葉銀行レインボー事件」の記事における「坂内ミノブ」の解説
1910年に新潟の資産家の末娘として生まれ、前橋高等女学校を卒業後、群馬県伊勢崎市の吉田印刷経営者・吉田庄蔵と21歳で結婚して二男一女を儲けたが、1941年ごろ子を連れて別居(1950年離婚)、吉田印刷を引き継ぎ、軍需で大儲けし、のちに三信印刷と改称して東京都文京区真砂町で経営した。1946年に長男名義で子爵牧野貞亮から芝伊皿子町の豪邸を購入して移り住み、情夫と同棲、また、雑誌『女性線』(1946年1月創刊)、『潮流』を6年ほど刊行した。1948年、中央区銀座西六丁目に、婦人子供服の仕立、装身具、食料品、美術工芸品の販売、喫茶(のちレストラン)など7種を業務内容とする株式会社レインボーを設立、1949年、同所(のち真砂町に移転)に東京三信物産株式会社を設立(三信は自身の名・ミノブに因む)、1950年には銀座四丁目に三信繊維株式会社を設立、1952年、同所に東信貿易株式会社と株式会社三信会館を設立、1955年、千代田区平河町二丁目に東京証券金融株式会社を設立し、全会社の業務を統轄経営していた(東信貿易と東京証券金融のみ代表に斉藤太郎)。1955年にはわかもと製薬創業者の長尾よねから桜新町の豪邸を購入していた。
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