坂出市への編入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 02:52 UTC 版)
1953年4月1日に、与島村は坂出市と合併し、大字瀬居島の区域を以って瀬居町が新設され、坂出市の町丁の一部となった。しかし貧弱な半農半漁の漁村において生産年齢の働き口となる有力な産業も無く、その後も加速度的に過疎化が進行した。 瀬居島に転機が訪れたのは、1968年に番の州臨海工業団地の造成によって、四国と陸続きになった時点である。陸続きになったため、四国側から電力供給路が確保され、瀬居町の半島部分では電力を容易に使用できるようになった。さらに、番の州と呼ばれた浅瀬を埋め立てて造成された工業団地には、大企業の工場が多数立地し、そこに近接した瀬居町では、住民の多くが転居を行わずとも、それまでの第一次産業から、この工業団地内の第二次産業や、四国の坂出市内など第三次産業へ就業と通勤が容易になったため、過疎化に歯止めがかかった。 ただ、瀬戸内海国立公園に指定された瀬戸内特有の風光明媚な景観は、1978年10月10日に起工した瀬戸大橋によって変化していった。一方で、1988年に完成した瀬戸大橋自体は、香川県における観光地の1つともなった。瀬居町の西から北にかけて、瀬戸大橋を望む事が可能である。
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