地方密鋳銭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 19:31 UTC 版)
天保通寳は寛永通寳銅一文銭5〜6枚分の量目に過ぎず、吹き減りおよび工賃を考慮しても一枚10文前後のコストで製造可能である為、幕府は地方での発行を「禁制」として認めなかったが、幕末期に偽装工作としての地方貨幣発行の陰で各藩による密鋳が横行した。明治期に引換回収された天保通寳は5億8674万枚にも上り、これは金座および貨幣司が鋳造したものを1億枚以上も上回る数であり、かつ流通高のすべてが回収されたわけではないため、密鋳は2億枚程度に達したものと思われる。 密鋳に関わった藩は判明しているだけでも、久留米藩、薩摩藩、福岡藩、岡藩、土佐藩、長州藩、会津藩、仙台藩、久保田藩、盛岡藩など10を超える。また、水戸藩も天保通宝の鋳造を行っていたが、こちらは江戸幕府より正式な許可を受けた上で鋳造していたため密鋳とはいえない。 そればかりでなく、素性の不明ないわゆる「不知銭(ふちせん)」とされる天保通寳も多種存在し、現在のところ判明していない他の藩によるもの、あるいは小規模な民鋳によるものなどが考えられる。 現代の貨幣収集界では、現存数の少ない地方密鋳銭等の方が公鋳銭(本座)より古銭的価値が高いとされる。
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