地上波からケーブルテレビへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 18:07 UTC 版)
「アメリカ合衆国のボクシング中継」の記事における「地上波からケーブルテレビへ」の解説
1980年代全般から1990年代初頭にかけて、地上波でのボクシング中継は土曜日の午後の定番であった。しかし1990年代には地上波のボクシング離れが進み、マイク・タイソンの時代も終焉を迎えていた。主なスポーツメディアの多くがボクシングの報道を大幅に減らし、テレビ関係者はヘビー級よりも軽い階級に関心を移すようになった。この頃は主にスペイン語チャンネルのテレムンドとテレフトゥーラ(現在のウニマス(英語版))が定期的なボクシング中継を担い、これらのチャンネルは特に南西部や西部の若手選手が主要なケーブルテレビへ進出するまでの足がかりとなっていた。 2000年代前半になるとテレビ中継は増加した。ケーブルテレビ局のHBOやShowtimeが世界戦を毎日のように中継し、FSN(FOXスポーツネット)も『サンデー・ナイト・ファイト』を放送。視聴率も上がっていった。テレビ中継される試合数は、2002年の197から2003年には212に増加し、魅力不足のヘビー級より軽い階級のエキサイティングな選手たちが視聴者を惹きつけた。2003年春に、NBCとテレムンドは2か国語放送で『バドワイザー・ボクシングシリーズ』を開始。2004年から2005年にかけては2つのリアリティ番組が開始され、FOXとFSNがオスカー・デ・ラ・ホーヤの『ザ・ネクスト・グレイト・チャンプ』、NBCがシュガー・レイ・レナードとシルベスター・スタローンを進行役とした『ザ・コンテンダー』を放送したが、いずれも長くは続かなかった。 メインイベンツ社がプロモートするアルツロ・ガッティは激戦で知られ、2002年から2003年にかけてのミッキー・ウォードとの3度の対戦でその評価を不動のものにした。『リング』誌の年間最高試合を4度受賞。レフェリーのランディ・ニューマンは、ガッティの試合中の回復力は途轍もなく、たとえ劣勢であっても、ただ彼がガッティだというだけで、試合を止めるのは難しかったと後に話している。HBOの中継には21回登場し、HBOスポーツ社長のロス・グリーンバーグ(当時)は、ガッティは伝説的な選手のひとりであり、ウォードとの3試合はボクシング史に生き続けるだろうと語っている。
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