土佐郷士(土佐藩)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:54 UTC 版)
関ヶ原の戦い以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣一領具足層を懐柔するため郷士に取り立てた。上士は、山内一豊が掛川城主だった時からの家臣や、土佐入封前に大坂牢人を取り立てたもののほか、長宗我部旧臣上級層の一部(吉田東洋らの家系)も含まれる。幕府や藩の権威が衰えた幕末には、土佐郷士の多くが尊皇攘夷運動に身を投じた。 著名な人物には、土佐郷士をまとめ土佐勤王党を結成した武市瑞山(半平太)や、海援隊の結成や薩長連合の斡旋、大政奉還の実現に尽力した坂本龍馬、初代衆議院議長の中島信行がいる。 土佐藩には郷士を功績によって上士扱いの白札とする柔軟な制度があり、他藩に比べて様々な才能を持つ有能な人材を育む土壌となった。武市半平太の武市家や坂本龍馬の父系先祖の宮地家、山本家は「白札郷士」で上士待遇であった。
※この「土佐郷士(土佐藩)」の解説は、「郷士」の解説の一部です。
「土佐郷士(土佐藩)」を含む「郷士」の記事については、「郷士」の概要を参照ください。
- 土佐郷士のページへのリンク