国語調査会と森鷗外とは? わかりやすく解説

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国語調査会と森鷗外

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 10:10 UTC 版)

現代仮名遣い」の記事における「国語調査会と森鷗外」の解説

1921年大正10年)に新しく設けられ臨時国語調査会は、「当用漢字」や「現代かなづかい」に似たもの大正13年1924年12月24日満場一致可決した対して山田孝雄1925年大正14年2月にこれに反対する論を書き上げた鷗外はこの時の国語調査会会長であったが、1922年大正11年6月辞職した鷗外危篤1922年大正11年7月9日死去に際して再三濱野知三郎通じ山田面会しようとした山田私用でかなわなかったが、7月8日鷗外危篤遺志伝えられる。約1か月前、6月上旬辞職前に山田濱野面会しており、その時は「同問題將來をいたく憂慮し慷慨淋漓たるものあり、終に旨を濱野含めて不肖に傳へらるる所ありき」とのことであった臨終に際して鷗外苦心憂慮取り上げ山田は以下のような文面調査会非難した。「森博士の名にかりて私見を逞くせむの卑劣なる考あらむや。ただ同博士生死の際に國語問題に非常な憂慮費やされしその誠意後進たる余が責務として何の時かこれを世に公に傳へおかざるべからざる責任深く感ずる」。以上は「森林太郎博士苦心の事」によるが、これは假名遣意見と同じ明星掲載された。 この掲載受けて芥川龍之介藤村作美濃部達吉松尾捨治郎・高田保馬本間久雄木下杢太郎などにより次々と反対論発表され国語問題社会問題となった。この問題帝国議会取り上げられ、再びの議員反対受けて戦前における表音的仮名遣の論は表舞台から消え表音主義戦後に再び台頭する

※この「国語調査会と森鷗外」の解説は、「現代仮名遣い」の解説の一部です。
「国語調査会と森鷗外」を含む「現代仮名遣い」の記事については、「現代仮名遣い」の概要を参照ください。

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