国内・宗教・軍事政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 18:05 UTC 版)
「エウゲニウス」の記事における「国内・宗教・軍事政策」の解説
皇帝に選出されると同時に、エウゲニウスは帝国の主要な行政官を入れ替えていった。テオドシウスはウァレンティニアヌス2世に西ローマ帝国の統治を任せたとき、自分の腹心を政府高官に据えて帝国全体を掌握したが、エウゲニウスはこれらの人材を自分に忠実な者たちに替えていったのである。その多くは元老院階級出身であった。大ニコマコス・フラウィアヌスがイタリアの親衛隊長官に、その息子小ニコマコス・フラウィアヌスがローマの長官に、また食管長 (praefectus annonae) にはヌメリウス・プロイエクトゥスが新しく就任した。 エウゲニウスも名目上はキリスト教徒であったため、帝国が異教を公的に支援することに関しては乗り気ではなかった。しかし部下たちの進言により、フォロ・ロマーノにあるウェヌスとローマ神殿の再建や、グラティアヌスによって元老院から撤去された勝利の女神ウィクトリアの祭壇の返還といった、古代ローマの伝統的宗教のための事業に私財と公的資金を投入するなど、寛容な宗教政策を採った。エウゲニウスがローマ市民や元老院から支持を集めるにつれ、テオドシウスは西ローマ帝国での支配力を失っていった。こうした施政はテオドシウスや強い影響力をもっていたミラノ司教アンブロジウスとの関係を悪化させた。エウゲニウスが権威の承認を要求するためミラノを訪れたときにもアンブロジウスは面会することを潔しとせず、エウゲニウスの没落を予言してミラノを退去した。テオドシウスはアンブロジウスのこうした高潔さと豪胆さに感銘を受けており、アンブロジウスもテオドシウスを支持していたため、結果として教会と帝国の結びつきは強まることとなった。 また、エウゲニウスは軍事面でも成功を収めた。特にアラマンニ族やフランク族との古い同盟を更新したことによって知られる。フランク族出身でありアラマンニ族やフランク族の戦士を部下にもっていたアルボガステスはライン川の国境線まで行軍し、その面前で軍事力を誇示してゲルマン人に印象づけることで鎮撫した。
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